アウシュビッツ Auschwitz

ヨーロッパ。バスや電車に乗ればいくらでも緑の田園風景を眺められる地。
北海道を除いておそらく日本では見つけることが困難な平原が広がる。牧場型と形容される風土が生まれた所以を目の当たりにしながら、人が管理する自然であ ろうとも、美しいと感じ入ることに躊躇はない。

そんな美しさを光とするならば、影もまた歴然と存在する。

「アウシュビッツ」は過去に使われたドイツ語での地名とのこと。地元の人々はこの呼称を好いていない。
町の名前はオシフィエンチム。
「アウシュビッツ第一収容所」と「アウシュビッツ第二収容所ビルケナウ」が今も博物館として姿を残している。

以前、カンボジアの首都プノンペンでは「トゥールスレン博物館」で似たような惨劇を見たときには背筋に戦慄が奔ったものだが、その再来となる今回は多少な りとも対処方法を身につけている。

徐々にヒドイものをみていくよりも、先に重いところから片付けてしまうのだ。




クラクフからオシフィエンチムへは バス・電車のどちらでも向かうことが可能らしい。
宿の前からもバスを拾うことができるそうだが、座れない可能性があるとの情報を得た私は バスの始発ターミナルである駅前に向かう。

午前9時00分。徒歩30分程で駅に着いた私はバスターミナルへ向かうため 駅の構内を抜けて行こうとしたのだが、なにげなく目に留めた 電車の発車時間を示すTVモニターが 「9時15分発 オシフィエンチム行き 2番ホーム」と示していた。

バス代は14zt、電車なら11zt。電車の方が安いことは知っていた。だがバスならばアウシュビッツ博物館の玄関先まで自動的に着く。電車は博物館まで 「オシフィエンチム駅から20分程歩くらしい」ということだったので検討から外していたのだ。
とはいえ、何分に発車するか分からないバスよりも すぐ発車する電車に縁を感じた私はさっそく電車のチケットを購入することにした。もちろん多少なりとも「鉄っちゃん」の気分を味わいたかった事も影響して いる。



切符を購入した私は、数分の時間があることを確認すると、すぐ横の売店でコーラを買い、そのまま電車に飛び乗った。わずか4両編成の電車の中は、長距離列 車のようなコンパートメントは無く、FRP製らしき4人掛けのシートがローカル電車であることを主張している。



10時39分到着予定の電車は約15分遅れてオシフィエンチムに到着した。
停車した電車から そぞろ降りてくる乗客のほとんどは世界中からの旅行者である。なかには日本人らしき人々も少数混じっていた。
少し以前の私、日本人宿に沈没していた頃の私なら、真っ先に彼らに話しかけていたはずだが、すでに気持ちは一人旅モード(?)に切り替わっている。まして ここは明るい方向性の観光地ではない、群れる必要もないだろうと考え、旅行者の群衆をホームで見送り、すこししてから駅の外へと歩をすすめた ところで一つ気になる事がある。

さて、どっちに行けばいいのだ?

同じ方向を目指すはずの他の旅行者の姿は既に無く、駅前にポツンと立つ姿は私一人である。

まぁ、大した問題でもあるまい。そもそも今回の私は「(第一)アウシュビッツではなく、(第2アウシュビッツである)ビルケナウを先に見る」予定としてい るので、彼らの行き先とは異なるはずなのだ。
これが、私が身につけた「負の世界遺産」を見るための手順である。

さて、駅構内を見渡せどもツーリストインフォメーションは見あたらない。売店に尋ねるがそもそも英語が通じないようである。フム。
とはいえ単語会話で「やはりツーリストインフォメーションは構内にはない」ことと、「ビルケナウは駅を右に出てランナバウトを左」とまでは理解できた。

ので、歩き出す。


◆ビルケナウじゃないじゃん。

駅を出て、5分程度でランナバウトを発見する。看板には確かに「ミュージアム」と明記されているあたりに安心感を誘う。

左に入って15分。ツーリストインフォメーションオフィスと向かい合って、一つの博物館が現れる。

「アウシュビッツ(第一)博物館」

えっ?

ちがうでしょ?駅の兄さんにはビルケナウへの行き先を聞いたはずである。が、まぁ、やはり意思疎通が50%しか成功していなかったのだな。と反省しつつ、 まずはインフォメーションへと向かう。

まず第一義にすべきことは、ビルケナウへの行き方の確認。これはアウシュビッツ博物館の玄関先から無料のシャトルバスが出ているとのこと、毎時30分にア ウシュビッツからビルケナウ行き。毎正時にビルケナウからアウシュビッツ行きが発車するらしい。

時間を見ると11時25分。ちょうど良い時間である。

それともう一つインフォメーションで聞きたい事があった。地図がないと死んでしまう恐怖症の私にとって、地図をいただけるかどうかは正に生死の分かれ目で ある。クラクフでは宿でもインフォメーションでもオシフィエンチムの地図をいただくことは出来なかった。
現地に来て、いきなり目的地と到着地が異なったのだ、これ以上マップが無い状況はマジでヤバイ。

そしてやっと手に入れたオシフィエンチムのマップ。

もはや「無敵は素敵」である。



地図をいただいたインフォメーションに礼を言い、アウシュビッツ博物館へと向かう。バス発車までは残り1分。
定刻通りに出発するとも思えないので、多少は余裕をかまして歩く。
後程 訪れるアウシュビッツ博物館の玄関先を見つめながら、僅か3名を乗せたバスが出発したのは、やはり予定を5分ほどオーバーした35分であった。


◆ビルケナウ

「アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ」が正式名称となる。



写真左から
@ビルケナウ収容所の外側から 収容所内へと続く線路。
A入口横にあるパネルの写真(赤がアウシュビッツ第一、青がビルケナウ)。
B入口にある注意書き。建物内の写真は撮影禁止 とのこと。




写真左から
@敷地内に入ってすぐの観光客団体様。記念撮影に余念がない…
A敷地内の区画を隔てる鉄条網
B区画へのゲート。門の先には延々と続く道と、その両脇に無数の収容施設が並ぶ。




写真左から
@破壊されたガス室。(敗戦時にナチス・ドイツ軍にて破壊された)
A同 破壊されたガス室を背景に咲く花。(フォーカスが甘いですなぁ。)
B同 破壊されたガス室の瓦礫の上に捧げられているイスラエル国旗と、何か文字の書かれた紙。




写真左から
@ナチス政権下犠牲者国際記念碑から望むビルケナウ正面入口
A構内軌道の終了点
B軌道終点から望むビルケナウ正面入口




写真左から
@監視台と軌道
A鉄条網の先に並ぶ収容舎(破壊されたもの)と手前で大量に咲いている花
B広大な敷地に無数に並ぶ収容舎の中央を貫く道。  …歩きましたよ、途中まで…。尋常じゃない距離だったので端までは行ってないですけどね…。まぁ、歩く途中で「これ作ったヤツ… ホント… バカ!!」って叫んでました。

 


正面入口にある売店。ドリンクとポストカードをメインに売っています。
横にはドリンクの自販機があり、ティー・コーヒー各種が全て2zt。


ビルケナウからアウシュビッツ博物館(第一)へと戻るフリーシャトルバスを待つためにビルケナウ正面のバス停にたたずむ一人の日本人女性と出会う。彼女は アウシュビッツを見た後にビルケナウに訪れるという、言わば順路通りに見てきたのだが、やはり、精神面に与える影響は甚大であったらしい。

クラクフへと戻るバスに乗るため、一旦アウシュビッツまでシャトルバスを使うとのこと。5分ばかりの車中でアウシュビッツ博物館についていろいろと語らう が、公立校の教師をしている彼女の前では私は一介の生徒のようであった。


◆アウシュビッツ

ある種 本番 と言える博物館である。ビルケナウに比べて敷地の規模は小さいながらも、展示物の多さについては折り紙付きである。不謹慎ながら、どれほど自分の気持ちが 落ち込むかのテストと言っても過言ではない。



レセプションビルディングを通り抜け、正面ゲートの手前のボードである程度の地図を頭に入れる。



あまりに有名な「Arbeit Macht Frei 働けば自由になる」と書かれた正面ゲート。



28棟の収容舎とそれ以外の建物、それら大半の内部には展示が行われている。
残念ながら コメントの仕方が見つからない。そんな場所です。
(アウシュビッツについてはwikipediaやそこからリンクされているページに解説を譲ります)



さて、たんまりと鬱な気持ちを引き連れたまま戻るのもどうかと思いつつも、他に方法はなし。
ちょっとラッキーだったのは乗ったバスがローカル線で、当初想定していた14ztの半額 7ztだったことだろうか。



中欧 ポーランドの平原を走り抜ける路線バス。



クラクフ駅のすぐ隣にあるバスターミナルに到着したのは、まだ日の高い午後5時だった。



◆オマケの写真館




各国語ガイドブック。

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