カイロ Cairo



ダハブを 午後10時に出発したバスは、午前0時に一回の休憩を挟んだ後、カイロに向けて進んでいく。

日中移動なら、シナイ半島からアフリカ本土に入ったところで 焼けた大地を見ることが出来るのだろうが、夜間の為、残念ながら見ることは出来なかった。


午前5時、バスは不可思議な場所で停車する。付近には全く何もなく、バスターミナルというにも違和感が伴う。全員が下車し、荷台からバックを全て取り出 す。まるでバスターミナルに着いたと等しい動きであるが、荷物を持った乗客が一列に並び始めた。私もそれに追従する。見渡すと 同じように停車するバスが数台見える。 「セキュリティチェックだ」。 隣に並んでいたイギリス人が呟く。かすかに感じていた緊張感がより強く感じられてくる。

足下に自分のバッグを置き、一列に並んだまま 5分程過ぎただろうか、乗客の荷物はチェックされることもなく、セキュリティチェックが終了する。『 いったい何のために、こんな早朝から並ばされなければならないのだ?』 と 私が思うより早いか、数名の外国人が 「スチューピッド」と呟いていた。


午前6時、砂塵が浮く東の空から太陽が昇ってくる。しばらく進むと民家やマンションが見えてきた。
そろそろカイロに着くようである。


午前6時50分、バスはカイロ郊外にあるバスターミナルに到着した。構内で客引きをしているタクシーには構わず、ターミナルから外へ出る。すると、ダハブ で見かけた2人の外国人がちょうど車に乗り込むところに出会う。
市内まで行くという彼らから、「もし良ければ乗っていくか?」と勧められた誘いを断る手もないだろう。
他のタクシーは 一般的には黒地なのに対し、この車の色が白だったことに一抹の疑問はあったが、まぁ、こういうタクシーもあるのだろう程度に考え、同乗したところから物語 が始まる。


車の後部座席に乗り込んだのは スエーデン人のステファン・アメリカ人のエリオット・私、助手席にはダハブから同じバスに乗ってきたエジプト人1人、そして最初はタクシードライバーと 思っていたエジプト人 の合計5人の車が走り始める。
市内に行くために、「5EP払ってね」とドライバーが言う言葉を ステファンが英訳してくれる。距離が今ひとつわからないが、決して高い額では無い事が、彼らに便乗できた幸運を証明してくれる。 ステファンとエリオットは両名ともアラビア語を少し操ることにたくましさを感じるが、両名ともアラビア語の語学留学でカイロに滞在していることを後に知る ことになる。

アラビア語と英語が混じる彼らの話を横で聞きながら、最初に漠然と感じた違和感がいよいよ具体的に見えてくる。私以外の 運転手を含む4名は和気藹々と話をしている。それは最初言葉の問題かと思っていたのだが、やはりそれは異なり、彼らは顔なじみで、且つ この車はタクシーではなく、ベドウィンであるムハンマド氏が彼らを迎えに来た車だったのだ。

それがわかってきた頃、彼らから「朝食を一緒に食べないか?」との誘いを受ける。こちらは急ぐ旅をしているわけでもなく、断る理由もないだろう。「そちら が気にしないのであれば、是非。」 とその時は 軽い気持ちで返答していた。
 
バスターミナルからレストランへと向かう車の車窓から カイロ郊外 シタデル地区が過ぎていく。石造りの  軍事博物館、カイロのランドマークと言って過言ではない  ガーマ・ムハンマド・アリ。
カイロ滞在中に訪れようと考えていたが、ここまでに様々な名所を訪れた弊害だろうか、外観のみで満足してしまう自分が居た。

「そうだなぁ、ここからなら20分程度かな。」
レストランまでは何分程か?と聞いた質問に、思いのほか遠いところまで行くような返答がくる。『どこのレストランに行くのだろう?』 という少しの不安と、そうは思いながらも 他に外国人が2名居るという少しの安心感が奇妙なバランスを保っていたのだが、ある建造物の出現で一気に精神状況が変わることになる。


ちょっとしたビルが林立するカイロ郊外の中に、通常ではその出現が予測できない三角錐が現れる。
「ピラミッドだ!!」 と理解するまで全く時間は掛からない。が、よもや このように市街地の間近にあろうとは想像していなかった。

車は徐々にピラミッドへと近づいていく。
そして、ピラミッド区域を隔てる壁の前に車が停車した。

同乗していたステファンとエリオットの2人は“勝手知ったる”が如く、店の奥へと歩を進める。どうやらこの中庭で朝食となるようだ。
エジプト式の朝食を8名で頂く。私を含める外国人が3名、ダハブからバスに同乗したエジプト人が1名、ベドウィンであるムハンマド氏を含め 友人らしき人々4名。英語とアラビア語が乱れ飛ぶ朝食である。

その友人の中に1名、異色なエジプト人が混じる。

通称「クフ」。ピラミッドに埋葬された王のニックネームを持つ彼は、身長が優に2メートルを超える。過去に映画にも出演したことが彼の自慢のタネであるら しく、英語を話せない彼との間でムハンマド氏が通訳としてチカラを発揮しつつ、10分程雑談をしていただろうか。有難いことに どうやら私は彼からやたらと気に入られたらしい。
写真を撮っていただくのに肩を鷲掴みされたのだが、それが周囲から滑稽な姿にみえるらしい。観客は大爆笑を続けていた。
クフ氏はこの後、別件の用事があるらしく、ほんのお付き合い程度の食事で足早に去っていった。


◆ えっ?ウマですか?

「ピラミッドを見に行かないか?」
食事後、ステファンとエリオット、数人のエジプト人と共にシーシャをふかしている最中に、ムハンマド氏から提案が入る。
額は200EP。『少し高い。』とは思ったが、ここまでのもてなしを受けていたことと、ピラミッドを目の前にした私の気分は最高潮気味だったことから、 「いいねえ。」と返事をしていた。
とはいえ、まだ時間が早いらしく、「シーシャでも吸ってゆっくり待っていてくれ。」 と言い残してムハンマド氏は他のエジプト人との雑談を始めてしまった。
こちらはステファンとエリオットと雑談を続けながら、気になっていたことを聞いてみる。
「200EP(約4500円)って相場なのかい?」
「そうだねぇ。そんなもんじゃないのかな。」
そう聞いた私も、『そうだな。そんなものなのだろう。』と素直に聞いていた。

1時間ほど経っただろうか、ムハンマド氏から「そろそろ行くかい?」という言葉と同時に 「入場料を含めて400EPになるよ。」と、私の心に大きな疑問を起こす言葉がもたらされる。
400EP。日本円にして約9000円である。そしてそれ以上に “400EP”という数字を別の情報として知っている。
それはエジプト人の平均月収なのだ。

馬でピラミッド区域を走る時間は約2時間。2時間で400EPはこの国の物価から著しく乖離する。明らかな違和感が訪れ あることに気がつく。
インド・エジプト・モロッコ。この3国は旅行者が選ぶ “3大 ウザイ国ランキング トップ3 ” だったはずだ。
平和なダハブですっかり忘れていた、インド文化の再来。
念のため ステファンとエリオットに尋ねる。
「400EPって相場なのかい?」
「そうだねぇ。そんなもんじゃないのかな。」
…なるほど、流石にカイロで留学しているだけのことはある。すでにエジプト文化に慣れているのだろう。
また、日本人的 “和” の社会とは異なる“ 自己責任に於ける行為と結果” の文化を背負っているとも考えられる。
なににせよ、400EPは明らかに法外な額である。
『なにか使える情報はないだろうか?』  手持ちのガイドブック「エジプト」版を開けてみると、やはりあった!
書かれている情報によると1時間あたりの相場は15〜30EP。やはり10倍の値段を請求していたようだ。

そうは言え、こういった遣り取りはすでにこの手の文化の真骨頂 インド で実践済みである。それに比べてエジプト文化のなんと緩いことであろう。少なくとも彼らに悪気が無いことは既に理解しているし、なにより自分の感情に怒り が無いことが もしかすると自分が成長した、いや、彼らの文化に慣れてきたのだろう。

こちらには最初 200EPを了解したハンデがある。彼らは朝食を提供してくれ、またシーシャももてなしてくれている。それらのことを鑑みて “ 2時間 100EP ” で交渉を落ち着かせる為、ムハンマド氏との交渉を開始しようと口火を切ると、驚くべき事に ムハンマド氏から「じゃあ100EPでどうだい。」 と、こちらが考えていた額が飛び出る。

彼からすると、それでも十分な利益なのだろう。まだディスカウント余地はありそうだが、こういった時は “ 値切るだけ値切るよりも 自分が納得できる額なら払う。” が重要だと考えるようになった。

「では、100EPで。」 交渉と言える会話があったわけではない。そこがインドとの違いなのだろうか。もちろん 同席した顔見知り、2人の外国人の影響も大きいだろう。 早速、馬に飛び乗った私は、ムハンマド氏が手配したガイドと共にピラミッドに歩み寄っていく。

ムハンマド氏が経営する店 Desert Storm からすぐ、馬1分の所にある 外壁の切れ間から中へ入っていく様だ。
『むむっ、やはり入場料とはガセであったか。』 と思うが、要らぬ疑心を顕わにして関係をこじらせる必要もないだろう。
ガイドが外壁の切れ間を警備する警官にかるく挨拶をすることで、そこに掛けられているクサリが外される。
おそらくはベドウィンの特権によって通行が出来るらしい。

外壁から内側には行ってすぐ、ピラミッドが目前に現れる。

距離感が今ひとつ掴みにくいが相当な距離が開いているようだ。
ガイド氏が教えてくれる撮影ポイントで数枚の写真を撮る。ピラミッドの上に手をかざす構図を多く指定される。
彼が指定する立ち位置とポーズはある程度パターン化しているような気がするが、数多の観光客を案内しているのだろう。その手慣れたスキルと話術には、素直 に安心感を持てる。
もしかすると、ムハンマド氏の計らいで スキルの高いガイドが手配された可能性を感じていた。


ピラミッド自体はまだ少し距離がある、その手前に鎮座するスフィンクスを見に行こうとガイド氏が案内する。
ここでやはり違和感が訪れる。スフィンクスの外郭を囲むフェンスの内側に入れないのである。
ちょうど一つ大きな石が横にあり、この石の上に立てば良い写真が撮れるよとのこと。
まぁ、確かに写真は撮れるのだが、スフィンクスに関しては少しの違和感が伴う。
『やっぱり、入場料とか払ってないでしょ。』とは思うも、気にしないことにしよう。


スフィンクスを離れ、いよいよピラミッドへと近づいていく。


ガイドの指示に従い、カフラー王のピラミッドの横に馬を結ぶ。
「ピラミッドの上に登ってみな。」という言葉に心が躍る。
ここまでと同じように彼にカメラを預け、巨大な岩を2段程登ったところで写真を撮る。
「それじゃあ次に行こうか。」との言葉だが、『もうすこし上に行きたいなぁ。』と思い、再度もう一枚の写真をお願いし、さらに2段上に登る。
“キケンですのでピラミッドに登ってはいけません。”
後で思い出した某ガイドブックに載っている言葉である。とは言え、この時の私はちょっとハイテンション。 “少しなら登っていいよ” と 促した ガイドの言葉に乗っかり “さらにもちょっと登ってみよう。” となるのは自然な流れであろう。



ガイド氏もある程度は 安全管理義務があるのだろうが、そこはエジプト。すこしその感覚がユルイ。
私が、多少なりとも “ノリ” であるとか “チャッチャカ登る” キャラクターであることを知るにつれ、「他のお客さんには絶対に言わないけど、こんな構図の写真はどうだい?」と 調子を合わせてくれる。


その最たるモノが、“ちょっと登りにくい岩の上に立ち、30cm × 50cm の足場で片足を上げる。”である。
これは流石に、『あぶねぇ!』と心で叫ぶも、「君にしかやらせない。他のお客さんだとキケンだから。」と上手いことを言うガイド氏の口車に乗りつつ、気分 もノリノリでこなしてしまう私であった。

 
しばらくするうちに ガイド氏との呼吸が合ってきた。1.5メートル程度の段差なら飛び降りる個性を理解してくれたのだろう。飛び降りる瞬間をシャッターで捉えてくれる。


メンカウラー王の手前にある小さめなピラミッド。「写真撮るから登って。」と言うガイド氏の言葉にて、巨石に足を踏み出す。気持ちよく登ってはいるのだ が、万が一 足を踏み外すと “転落死は間違いない状況” である。
ちょっと ヒヤリハットな瞬間が1回あったが、無事に降りてきているので良しとしよう。


ギザのピラミッドを一望できる高台まで馬を駆けさせる。
というか、ガイドが馬の尻をめっちゃひっぱたいて走らせた。
映画ばりに気分が乗るが、こちとら乗馬は生まれて初めてである。振り落とされそうになりつつも、「ハイヨゥ、シルバー。(出 典:なんかの古い映画、または「紅の豚」)」 や 「Yupikai yeah!! (出 典:映画「ダイハード」)」 と叫んでしまう。
ものの数分で高台につき、ビューポイントでしばらくの時間を費やす。


高台から出口まで再度の速駆け。遠くに見えるビルがカイロ・ギザの町並み。
砂漠と町の間にはフェンスがあるのだが、そのフェンスが隔離する世界の違い。もちろん現在のピラミッドは観光資源なのだろうし、広大なエリアとはいえ壁で 巻く意味もあるだろう。壁の内側に砂漠、外側に市街。
速駆けを終えて、歩く馬の鞍からそんな事を考えていた。

最後にガイド氏の求めに応じてチップを50EPほど払う。
明らかにチップとしては高額ではあるが、ガイド氏はここまで良い仕事をしてくれていた。最後に『?』が付いた行為が バクシーシ(喜捨)の求め だったのだ。
おそらくエジプト式のコミュニケーションとしては、多少のディスカウント交渉が必須なのだろうと思う。とはいえ、西洋人のチップの払方を知らないわけでは ないし、なによりも私はそのとき満足していた自分の気持ちに水を差したくなかったのだ。
インド的なバクシーシの求めであれば突っぱねたか値切ったであろうバクシーシ。エジプト人の求め方はもう少し洗練されているようだ。単に求めるだけでな く、払い手が払いやすい環境作り、たとえば笑顔であるとか、人間としての距離の近さ、話し方の丁寧さ がインドのそれと異なったのだ。


たっぷりと2時間のピラミッド観光が終了し、ベドウィンの土産物店 DESERT STORM に戻る。
ステファンとエリオットの2人は相変わらず 寝そべったままでシーシャをふかしていた。さして待ち惚けた様子もなく 「あぁ、帰ってきたね、どうだったい?」 という導入から会話が始まる。
やはり、カイロ在住だけあり、ピラミッドやエジプト人についての造詣が深い。そんな世間話をしながら、少し休憩した私を待ってムハンマド氏の車はカイロ 市街にむけて出発した。



カイロ市街、ステファンとエリオット、そして私の3人は市街の中心部と思しきところで降りる。ベドウィン氏に 軽く「それ じゃ。」と礼を言い別れた所で地図を見るが、果たして現在地が判らない。ステファンとエリオットも日本語の地図を読みあぐねているようだ。
そのうち、ステファンがエリオットに「俺たちがタクシーをつかまえるのがベストじゃない?」と提案したことで、話に結論が出る。流しのタクシーを2〜3台 つかまえてアラビア語で交渉している。流石である。
正午のカイロ市街は道が混んでいるらしく、10EPから値段は下がらない。本来ならば半額程度らしいのだが、それでも私が「気にしないよ」と言ったこと で、彼らは肩の荷がおりたような顔を見せる。

タクシーの車中で彼らのメールアドレスをもらっていないことを思い出したが、一期一会、こういった出会いもありだろう。




日本人が多く集まる安宿、スルタンホテルとサファリホテル。
同じ建物中、各階にのホテルが入っている雑居ビルである。


スルタンホテルのドミトリー部屋は11EP (約250円) と非常に安い。6月末の日中気温は40度程あるのだが、カラッと乾いた空気の為だろうか、扇風機のみでなんとか過ごせてしまう。


ダハブで出会ったメンバーの大半はカイロへと進んでいた。同じ雑居ビルの5階にあるサファリホテルには20名 弱の日本人達が 宿泊しており、その約半数はダハブで出会った面々という構成。そのうち一名、私が勝手に「パイレーツオブカリビアン」と呼んでいるシバジュン君が、この日 ちょうど誕生日を迎える。
宿泊者のうち一名が腕をふるい、香辛料からカレーを作っていた。
本人の帰りを意図的に遅くするよう計画されていたり、寄せ書き、ケーキなどで彼の誕生日を祝う。
カイロに居ながら、そういった交流が面々と行われている。参加しているときは特に意識していなかったが、振り返ってみると、旅とは本当に不思議な時空にあ るものなのだろう。そこにいる人々は皆 一人旅で世界を見て回っており、たまたま同じ宿にいるだけなのだから。









朝食として通っていた、宿の正面にあるレストラン。この数年は朝が早くなってきている私は、このサンドイッチ(0.5〜1EP)をテイクアウトし、午前6 時の朝のロビーで食すことが多かった。


◆ ナイル川

「ナイルを見ずしてカイロを語るべからず。」と言われている。
 
エジプト考古学博物館の前を通り過ぎ、西へと歩を進めて5分程。
ナイルとその河畔に林立するビル群を一望する。






タフリール広場からシャワルビー通りへ


タマルヒンディー(タマリンドジュース) 1EP。





アズバキーヤ公園。入り口の横でやはりタマルヒンディーを売っている。値段を聞くと1EP、とはいえすぐ後に買った地元民が払っている額が50ピアストル (0.5EP)。やはりインド。

















10ep



ケンタのジンジャーセット11EP。



シャワルマ6EP。


中級レストランに分類されるらしいレストラン。アルフィー・ベイ
モーザと呼ばれるカバーブの一種。牛肉のモモ。35EP。
















1400ep

























◆オマケの写真館













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