セルチュク・エフェス Selcuk/Efes
◆宿探し 午後3時10分。セルチュクのオトガルに到着し、バスを降りたところで5人ほどの客引きに取り囲まれた。 5人という人数は他の町に比べて少し多いようだ。こんな些細なところで観光地に来たという認識を新たに持たされる。私より先 に降りた人々、というより別のバスで少し先に到着した旅行者が客引きに捕まっていて、バスの荷台から荷物を取ろうとする私の横で総勢20名ほどがヤイヤイ している。 彼らには一瞥もくれずに私は歩き出したのだが、一名が果敢にもピッタリと着いてくるヤツがいる。 私が目的としていたホテル(ゲストハウス)まではオトガルからは1ブロック先、徒歩にして2分とかからない位置にある。短い距離とはいえ客引きの彼は自分 のホテルのアピールをとぎらせることなく横を歩き続ける。 彼が勧めているのは セルチュク駅付近にある某ホテル。彼に目を合わせるでもなく適当に相槌を打ちながら話を聞いていたが、設備の割に値段が安そうな雰囲気だ。『まず最初の目 的のゲストハウスを内見して、その後で見に行っても良いかも?』と考えていたが、彼のその直後の対応が非常にマズかった。もはや私が目指していたホテル “Dreams GH” をあと5mのこす所の交差点で彼は「そっちには宿は無いよ!」と言い放ったのだ。 正直、カチンと来る。ここまで英語で喋り合っているのだ、よもや目の前にある“HOTEL”の単語を読めないとでもいうのだろうか?嘘を言うにしても程度 がある。冗談と取れる言い方ではなかったのだ。つまるところヤツはこっちを人間としてのコミュニケーション先として見ておらず、財布が歩いている とでも考えているのだろう。 「そんなつまらない嘘はつくなよ。」と諭すが 「ケッ!」と悪態を現されてしまう。 こういった客引きの些細なトラブルさえ無ければトルコはかなり良い国なのだが。と思いつつもとっとと予定通りDreams GHにチェックインを済ませる。 家族経営のこぢんまりとした宿である。キッチンも使えるし、アップルティーはフリーで提供される。中の仕事をメインで仕切っているのは20代後半のイイ感 じの兄さんなのだが 彼の挙動がカワイイのだ。ことある毎に「お父さんが…、お母さんが…」なのである。 初っ端は 部屋の内見に入ったときだが、その日にチェックアウトした客がいたらしく、まだルームクリーニングが終了していなかったのだ、そんななか彼は「んーと、お 母さんがもうすぐクリーニングをするので少しまってくれ」と言った時、そういった物言いをする宿はトンと見たことが無かった私は 不覚にもカワイイなぁコイツ。と感じ入ったのである。 またこんな事もあった。エーゲ海が近いのでバイクでも借りて行こうかと考え、オートバイのレンタル屋がどこにあるか尋ねたのだが、「う〜ん、この町には無 かったように思うよ。」との返答に困惑している私を見て、「じゃあ、僕のバイクを貸してあげるよ。」と申し出てくれたのだ。とはいえ、彼のバイクは HONDAのレプリカで最近買ったばかりの新車である。彼が自分のバイク話をするときにはいつもより話し方に熱が入る事もわかっていたし、万が一にもそん なものにキズは付けられないので丁重にお断りしたことは言うまでもない。 ◆街中散策など エフェスは決して大きな町ではないのだが、商店街では飲食店とバー、土産物屋が並ぶ立派な観光地だった。 そんな中、地元民向けのスーパー“SOK” と “BIM”を発見し、エリケ(螺旋形のパスタ)とパスタソースを買い求める。 こちらは駅前にある“水道橋跡” 柱が7本ほど残っているだけ。とはいえその各々の柱には家主としてコウノトリが巣を構えていた。 エフェスに到着して気がついたことがある。気温が高いのだ。 オトガルを降り立ってから、正確にはその少し手前、バスがセルチュクに到着する1時間は手前から気温が非常に高く、また、道路から見える南国の樹木が 「夏」をイメージさせる。トルコに入ってからここまでは長袖を着込んでいたが、ここに来て半袖に着替えようかと考え始める。 で、あまりに暑いので最近は日課となりつつあるアイスを所望する。 バニラとチョコをミックスで山盛なアイスクリーム。1.5リラ(約135円) ◆ エフェスに行こう Dreams GH はそのサービスとしてエフェスまでの無料送迎を行ってくれる。 当日になって私はハタと気がついた。何時に送迎が行われるかをチェックイン時に聞いていなかったのだ。 時計は午前7時。まだ従業員は夢の中らしい。何人かがリビングで毛布にくるまって寝ている横で 私は朝飯のパスタを作りながら 『まぁ、歩いていっても良いかな。40分程度らしいし。』などと考えていた。 朝食を終えて食器を洗っていると、宿の主人(お父ちゃん)が起きて、宿の開店準備を始めだした。 「エフェスに行きたいのだけど、何時頃から送ってもらうことができるかな?」と尋ねたところ、イマイチちゃんと通じなかった のか 「ん?今行きたいのか?」と聞きかえされる。“今”ってお父ちゃんが開店準備中だし、そんなに急がないよ と言ったのだが、やはり通じていない。「5分まて。そしたら連れて行ける。」 との言葉でしばし待つわけだが、その5分でお父ちゃんは別の従業員をたたき起こし、店番の指示だけして 「さぁ行こう!」とスクーターを発進させたのだ。 むむっ。朝からお父ちゃんのたわわなオナカを鷲掴みである。セルチュク郊外の長閑な田園風景とそこにとけ込む遺跡の残骸を、決して速くない速度でエフェス に向かうスクーターからながめていた。 ものの15分程でエフェス 南門に到着する。と、お父ちゃんが「グッドラック」とそこだけ流暢な英語で一言残して去っていく。まぁ、帰りはドルムシュなり徒歩なりでなんとかなるだろ う。いや、もとより徒歩で帰る予定だ。 エントランス前にある土産物屋から話しかけられるカタコト日本語での営業攻勢をそつなく「また来るねー」なんて言いながらかわしていく。南門から入場して 北門出口から抜けるので まず二度と会うことはないだろうが。 ◆ エフェス エントランスで10リラ(約900円)を支払って入場するのだが、ゲートをくぐった瞬間から そこはかとない違和感が現実として目の前に現れる。 イモ洗いだ!!! 私は心で そう叫んでいた。様々な人種が一堂に会し、飛び交う各国語、ヨーロッパからの団体旅行が大半を占めるものの、日本・韓国の極東地域も混じっている。 ここまでの旅に於いて、これほどの入場者を見たことがあっただろうか?否、無かったのである。狭い島国を飛び出したはずなのに目前には繁忙期のTDLの如 く 人海が拡がっている。正直言ってショックだった。ここまでまわってきた遺跡ではさほどの人入りが無く、ほぼ一人、または少人数で広大な遺跡を我がモノにし ていた。それがパムッカレの石灰棚と同じく、恐ろしい人の出にもみくちゃにされているのだ。早朝に景色を独占できた分だけ石灰棚はまだすこしマシだっただ ろう。 『もう、遺跡は十分だ。』実は今回の旅に於いては エフェス を最後の遺跡観光にしようと考えていた。普通に考えて既に一生分の遺跡観光を満喫しているはずなのだ。またそういった場所を独占できたという非常に幸運な 状況を当たり前と思っていた自分にも気づいてはいるが、それにしても締めくくりにこれほどの大入りにぶち当たるとは。そんな状況は、『もうここを最後にし よう。』という意志を確固たるものに形成したのである。 ◇ オデオン 小規模なコンサートや会議で使われたホール。 南入場口から入ってすぐに目に入る建物、オデオンと呼ばれる多目的ホールである。丘の中腹を切り開くように建造されている。 ◇ オデオン上層階から望む風景 左から順に 南入場門方向。クレテス通り。市民公会堂跡。 ◇クレテス通り 3枚 オデオンからセルシウス図書館へと続くクレテス通りは まるで年末のアメ横だった。 ◇“上のアゴラ”から 左から順に ドミティアヌス神殿へと続く道。ポリオの泉に架かるアーチ。ヘラクレス門方向。 左から順に “上のアゴラ(旧 商取引場”。 瓦解したドミティアヌス神殿の壁。 瓦解した壁に咲く花(竜胆?)。 ◇“上のアゴラ”北側の交差点 左から順に メミウスの碑と交差点に戯れる観光客。 ポリオの泉。ドミティアヌス神殿。 ◇クレテス通り 左から順に メミウスの碑。クレテス通り(北方向へ撮影)。クレテス通り(南方向へ撮影) 左から順に クレテス通り(丘の上から撮影)。トラヤヌスの泉。丘の上の住宅 左から順に スコラスティカの浴場。その前にある道のイモ洗い。 3枚とも ハドリアヌス神殿。 左から順に 公衆トイレ場 中央の池(水はない)。 古代の公衆トイレ。 公衆トイレから望むマーブル通り。 3枚とも セルシウス図書館(外観) 3枚とも セルシウス図書館(内部) セルシウス図書館の横にある門。 ◇ マーブル通り から アルカディアン通り 左から順に マーブル通り。“下のアゴラ”沿いに設置された柱とその横に繁る草木。アルカディアン通りから望む大劇場。 左から順に 大劇場入り口の通路。通路から大劇場ホールへ。ホールから観客席を望む。 左から順に マーブル通りから望むアルカディアン通り。 同マーブル通りから望むアルカディアン通り、ただし体育場の台座の石がメイン。マーブル通りの北に続く細道。 左から順に アルカディアン通り沿いの体育場前。同 体育場の敷地内。 ◇ 北入場門 北入場門が見えてきたところでエフェス遺跡 終了となる。 退出する前にお手洗いに行ったのだが、「一回50 Cent Euro」の表記。0.75YTLはこの旅はじまって一番高いトイレの様な気がする。 門をくぐり抜け、土産物屋からのラブコールに目もくれずに次の目的地であるアルテミス神殿へと向かう。駐車場には50台を越える大型バスが停車しており、 エフェス遺跡を見終わった観光客をものすごい勢いで吸い込んでいく。 ◆ アルテミス神殿へと エフェス遺跡 北入場門の駐車場と一般道の間にある改札でアルテミス神殿までの行き方を尋ねる。歩いていける距離だというのはもとより承知なので方向を確かめたかったの だが、やはり方向が合っていたことが確認出来ただけでなく、彼らは近道まで教えてくれる。 彼らが教えてくれた近道はジャンクションの様に迂回して廻る車道の中央を貫く 土の歩道。 馬車の往来が多いのだろうか 轍が目立つ道。そして馬車からの落とし物が散乱する道でもあった。 少しの間、インドを思い出しながら春の草木に目を癒す。 5分程歩いたところで近道が終わり車道に戻る。ちょうどそのタイミングでエフェスに向かって歩く旅行者に出会い、車道をそのまま歩こうとする彼らに、この 小道がエフェスへの近道だよ。と伝える。バーイ などと気楽に手を振り別れた後、若干インドらしい道だということを 彼らが小道に入った直後に思い出し、『マズったかな?』と考えたが、そもそもエフェス遺跡の入場口に勤める人が教えてくれた道だと、自分を納得させる。 小道が終わり 車道に戻ると、エフェスへと往来するバスがひっきりなしに走っていた。なるほどこれだけの人員を受け入れるエフェス遺跡は確かに魅力ある場所であろう。過 ぎたるは及ばざるがごとし、数多くの遺跡を短期間に詰め込んだ私の旅はやはり 『 too much 』 だったと心で呟いていた。 エフェスからゆっくり歩くこと40分、アルテミス神殿のサインボードが現れた。途中 歩いている最中には 果たしてこの道で合っているのだろうかとの考えがよぎる。決して道を間違っているわけではないが 1人で歩く開放感の裏側にほんの少しのエッセンスとしてつきまとう不安感のようなものだ。車のほとんど走っていない4車線道路。TVでよく見る光景に被 る。ヒッチハイク用に行き先を大きく書いたスケッチブック。いや私はそんなものは持っていない。 ただ歩く。 エフェスから4車線道路に入るときT字の交差点を右に曲がった。そこは側道とは言えないような 1m幅の路肩を私は歩いていたのだ。スケッチブックが似合いそうな状況だった。バックパッカーの気分に浸りつつ 10分程の時間を路肩で歩いただろうか、左を見ると街路樹に沿って歩道が走っていることに気がついた。 少し交通量の増えてきた4車線道路を横切り、歩道に入って また気持ちの良い感覚に包まれる。 新緑の並木道なのだ。そして距離も相当にある。東京で当てはめるなら神宮外苑の銀杏並木の無限遠版だろう。もちろん植生はことなるのだが。これから先、旅 がヨーロッパに向かうにつれて並木を見る機会が増えるだろうという予感が心を健康にしてくれている。 ◆ アルテミス神殿 世界の七不思議に数えられた神殿。正確には神殿跡。ただ一本の柱が天をつく空間である。 例によってエフェス遺跡からの団体客、ちょっとしつこい物売りに囲まれつつも高台の上に自分の場所を確保。 団体客は昼食の時間に入ったのだろうか ぱったりと全員が消える。その後、昼食後の団体客が訪れるまでたっぷりと1時間、この空間を独り占めさせていただいた。 おそらく最後にするであろう遺跡観光を終了し セルチュクの町に帰ってきたのは時計が午後2時を指した頃。 食材は冷蔵庫に入れている。宿に帰って昼飯を作るとしよう。 ◆トロイへ セルチュクのオトガルには5軒のチケットカウンターがある。各々バス会社が異なる為に発車時間や経由に差異がある。その中から 乗り換えが無く 直行で行けるものから30YTLのバスをチョイス。乗車時間は8時間を予定している。 夜9時発のバスに合わせて8時30分にはオトガルに向かう。少し早いかな?と思うも とっくにチェックアウトしたゲストハウスのロビーですることがあるわけでもない。リュックを背負ったところで、ちょうど帰ってきた女性がドアをくぐりロ ビーに入ってきた。最初はコリアンかと思いアンニョンハセヨ と挨拶をしてみたのだが、いや 日本人だという。今度はこっちがコリアンと間違われ、お互いに「えっ?韓国?日本?」と30秒ほどお互いの身元確認作業が入る。そういった作業も楽しいも のだ。 話を聞いてみるとここには3泊ほどしているという。それなら私よりも1日早くチェックインしている計算だ。 思えば客の薄いゲストハウスだった。私は2泊だけだったがキッチンを使う客も見ず、寂しく1人でパスタを作っていた。一階ロビーですれ違った宿泊客は白人 が数名。その代わりに書き物が進んだのは良かったのだが。 久しぶりの日本語で少し雑談を交わした後、「良い旅を」と話を締めくくる。 縁なのかツキなのか、こういったモノは続くらしい。 午後8時45分にオトガルへと到着し、バスカウンター前にリュックを置いたところで、今度は日本人男性2人組と出会う。安いチケットを買おうと5社の窓口 で価格の比較をしており、昨日の私と被って映る。 どちらからともなく話を始めると、2人共 ゴールデンウイークで旅行に来ているとのこと。トルコの旅中で出会い、ルートが同じことから一緒に動いているのだそうだ。そのうち一名は私と同じ33歳。 ゴールデンウイーク明けには会社を辞めて旅に出るという。34歳での長期旅行なら私より1年遅れてのスタートとなる。 9時発を予定しているバスは9時15分を廻ってもオトガルに到着する気配が無く、トルコ初のバス遅延となる。渋滞に引っかかったか前のオトガルで乗車に手 間取ったのだろう。とはいえ他の国でもはや慣れているため特に気にすることもなく、彼らと話を続けていた。 9時25分にやっと到着したバスは押っ取り刀で走り出そうとする。セルチュクで乗り込む客は私1人らしい。 カウンターに居たチケット屋は「急げ!バスは君を待っているんだ!」と捲し立てるが、バスが到着して30秒と経っていないのだ。山手線の発車でもあるまい に。リュックを片掛けで歩きながら2人の彼らへとメールアドレスを書き殴った紙を渡し、イスタンブールでの再会を約束してバスに飛び乗る。あわただしい別 れだ と思いつつ 乗車口のステップに片足が乗ったところで、バスは走り始めた。 椅子に座り、サービスのドリンクでチャイを選択した私はそれを飲みながらスポンジ型の耳栓を着け、飲み終わるのが早いか 否、眠りについていた。 午前 4時30分。バスは “トロイの木馬” が待つチャナッカレ、その埠頭に到着した。
エフェス遺跡・ポリオの泉の狭い区画で記念写真の撮影に興じる白人シニアの方々。 日本人と異なり、被写体が構えるポーズは日本人のそれとは異なる。 エフェス遺跡・大劇場のホールを占拠する韓国人シニアに混じり、紅一点というか、 そもそもの出来が違うおねいさんがやたらと周りからの視線を集めていた1コマ。 エフェス遺跡・北入場口付近にある案内板。 左から トルコ語・英語・韓国語。韓国人観光客の多さに驚いていたが、納得できる案内板である。 ちなみに右下にはサムソンのロゴマークが光っている。 この写真を撮っているときに背後から白人のおじさまが「トリにチップを払わないとね。はっはっは。」と 突っ込んできた。と、直後、彼も同じ構図でカメラを構えたのである。 トルコの各地で見るスーパー BIM。 トルコ版 ダイエーのようなものだろうか。 |