アンカラ Ankara
◆アンカラのバスターミナル ちょっとした空港のロビーと見間違う規模の建物である。敷地自体はイスタンブールのオトガルの方が明らかに大きいのだが、建物の形状が空港っぽいのだ。 その最たる例が建物中央にある電光掲示板。またドルムシュ(市内へのミニバス)乗り場へと向かう通路には“動く歩道”が設置されている。 まずバス停に着いてすべきことは、安宿街のある“ウルス地区”行きのドルムシュをどこで捕まえるかを知ることである。幸いインフォメーションカウンターが 建物中央にあり、警官が詰めているので聞いてみる。が、やはり英語がNGだ。身振り手振りと「ウルス、ドルムシュ」、「ネカダル?(いくら?)」のみで、 無様なコミュニケーションを満喫してみる。 ◆市内へ オトガルから大通りを挟んだ向かい側にあるドルムシュ乗り場で始発のドルムシュを拾い、出発をまつ。 ウルス地区までは1.2リラ(約110円)、15分程度で到着しドルムシュを降りた。夜の9時をまわっても人通りの多い街。さすがは首都と感心していた が、、感心している場合じゃない。「ここはどこだ?」 しばし、地図と視界に入る看板を見比べて現在地を把握する。目的とする宿街までは徒歩10分弱だろうか。 坂道を下り、「アタチュルクの銅像」がある公園の横を抜け、宿街に到着した。 毎度恒例の宿探し。アンカラの宿はやはり高めである。5軒ほどまわったところで大体シングルが25YTLという相場が見えてくる。今回は時間も遅いので、 早急に決める必要があったのだが、幸運にも 25YTLを20YTL(約1800円)にまけてくれた 「OTEL Turan」 に決めた。他の宿は共同シャワーなのだが、ここはインサイドバスだったのでお得感も高い。 荷物を肩から下ろしたのは午後9時30分であった。 ◆ちょっと初体験なスープ。 宿が決まって、夕食に訪れたロカンタ(トルコ語で「安いレストラン」)。 余談だが高いレストランはレストランテと言うらしい。 さて、開いてるロカンタは数少なかったが、地元民客が多少入っていた所にチャレンジ。オリーブ油を使いすぎていたりで 当たり外れの幅が大きいため、ちょっと警戒して「隣のテーブルで食べていた白濁したスープ」を指さして、同じモノをオーダーしてみる。 後にその名を “イシケンベ” と知るそのスープ、お値段は2.5YTL(約220円)と高くはない。 テーブルに運ばれてきた瞬間。テーブルに置く直前に私の顔の前を通過するわけだが、、とても違和感のある香り、というか、ニオイが鼻にツンときた。 キレイに表現しよう。「野生のニオイ」だ。 ストレートに表現しよう。「牛舎のニオイ」だ。 一瞬、我が目を疑った。周りの地元民客らしき人の大半は同じスープを談笑しながら囲んでいる。 念のため、具材を確認してみたが、やはり「臓物系、特に腸あたりのスープ」である。 どうもアンカラとは相性が良くないらしい。 そもそも、バスは8時よりも前に着くはずだったのだ。それがオトガル手前で大群のバスで作られた渋滞によって15分以上遅れているし、このロカンタに入る 直前あたりから小雨に降られている。最後、3つめのトドメとして「野生のスープ」である。 涙がチョチョ切れそうになりながらも、食べ放題のエキメッキ(フランスパンみたいなやつ)を食べたいが為に、スープに“レモン汁・ミント汁・酢”をアホほ ど加えて味をととのえた、というか、ごまかしたのである。 ◆街を散策。 アンカラという街は非常に興味深い造りになっている。 基本的には平野部に商業区域が配置されているが、住宅街は高台に多く見ることが出来る。道を歩き、視界の広がるところで、住宅がならぶ丘が目にはいるの だ。 そんな散歩をしながら、ウルス地区のドルムシュターミナルの前で ふと散髪屋が目に入る。 インドのジョードプルで切って以来、もう2ヶ月半が過ぎている。何かの縁だろうし、洗髪込み 5YTL(約450円)で刈っていただくことにする。 最近、露出度の高い筆者をモデルに ビフォア・アフターを公開してみる。 トルコの散髪屋はこんな流れで仕事をしているようだ。 @肩を揉む。 A背中を揉む。←肩を揉まれている最中に「アウッ!」とか叫んだからかも? B髪を切る。 C髪を切る。切る。 Dバリカン10秒。←えっ? Eなんだか、やたらと長いマッチに火をつける。← ? F右耳の手前の毛を燃やしに来る。← !! G左耳の手前の毛を燃やしに来る。← !!! 『カメラ!カメラー!!』とココロで叫ぶ。 H洗髪する。 Iこめかみを必要以上の力でマッサージしてくれる。 J整髪料とオーデコロンを大量に消費する。 終了。 そしてフラフラな足取りで散髪屋を後にする私。 ◆ アナトリア文明博物館 ナイスな散髪屋で足取りがフラフラにナリながらも、「アナトリア文明博物館」に向けて歩く。 ガイドブックに依ると“月曜日が定休”となってるが、なにせ、訪アンカラの目的がここなのだ。場所の確認だけでもと足を博物館に向ける。 「ん?玄関が開いてる?」と訝しながらも 入場門で聞いてみると 「今日は開いてる」とのこと。早速 エントランスフィー 10リラ(約900円)を支払い入場した。 小学生達の社会科見学なのか、それとも終業旅行なのか、子供達に占拠されたようになっている博物館。 入り口前のベンチで座っていると、子供達から「ヘロー!ハワユー!」の可愛らしい攻撃に遭う。 博物館にはアナトリア高原に栄えた文明の足跡を見ることが出来る。ウラルトゥ、アッシリア、そして私が愛するヒッタイト文明である。 入った初っ端から、出迎えてくれた 愛くるしい獅子の像で もはや私はグロッキー。 博物館内部の陳列物は非常に整然と整えられている。建物自体も改装したて(?)のように見えるほどキレイに整備されていた。 途中途中で小学生の集団にもみくちゃにされる。『落ち着いて見られない。』ので一旦 館外に出て、時間をずらそうと努めていると、別口の小学生集団が入場してきた。そしてまた「ヘロー!ハワユ!」爆撃を食らうのである。 当時、やりとりされていた書簡。焼き固めた粘土で封印されている。コレも私が見たいと考えていたモノ。 儀式用の雄牛像と太陽像。年月を経て融合する様が見て取れる。 デッカイ壷とデッカイ鉄鍋。人類史に残る鉄鍋ですよ!(もちろんレプリカ) 博物館で2時間たっぷり堪能し、玄関を出たところでハタ、と気がついた。 『 … アンカラ終了しちゃった … 』 ◆メシでも。 時計を見ると2時ちょうど。そういえば今日は朝飯にエキメッキを半分ほど食べて以降 何もクチにしてないことを思い出す。ガイド本を見ると見晴らしの良いレストランが このアナトリア文明博物館のすぐ近くにあるようだ。 坂道を上り、レストラン「Zenger Pasa Konagi」に向かう。 地元民と西洋人でにぎわうレストランの角席、東洋人1名(俺)にて特等席を占拠してみる。店員さんオススメの一押しメニュー、Mixed Grilled 15YTL(約 1350円)を アンカラの展望とともにいただく。 おそらく、商業区域の大通り以外は、建築物に高さ規制があるのだろう。赤い屋根が広がる首都アンカラには他の都市と異なる「色の海」が広がっていた。 ◆ 市内散策 博物館からの帰り道に偶然であった繁華街「Konya Sok」とその付近にある市場。 Konya Sok は衣料品、特にテーラーが軒を連ねている。一般的なトルコ人はさほど収入は高くないのだが、「服はちゃんと装う」 文化を持っているため、月給の三分の一程度の服なら当たり前に購入するそうだ。 ウルス地区からほど近い公園 「ゲンチリッキ公園」 公園にはアタチュルク氏の電飾看板がある。市内の至る所にトルコ国旗、少し頻度は下がるが アタチュルク氏の肖像画もよく見かける。イランのエマーム・ホメイニー氏 程ではないにせよ、やはりムスリムの国には国民意識を掲揚する部材が多くみられ る。 ゲンチリッキ公園の前にあったレストラン「Mudurun Restaurant」 この日もお腹がすいたので適当に入ってみた地元民客向けのレストラン。例によって英語は通じないが、メニューには綴りのおかしな英単語があったので注文し てみました。ピザ5YTL(約450円) ◆特にすることもないので繁華街 「クズライ地区」にいってみる。 さて、泊まっているウルス地区は文化財の集合する区域だからか物価が高い。またインターネットが無料で出来るレストランも見あたらないので、繁華街にある か否かを確かめに出てみる。 ウルスから クズライ地区まではメトロ線で2駅、1.3リラ(約120円)。ものの数分で到着する。 地下鉄構内は基本撮影禁止なのだが、無理言って撮らせていただいた、チケットカウンターに表示されている料金表とホーム。 クズライ地区の地上に出てみて、その繁忙ぶりにちょっと感動してみる。 青山の店舗に 原宿の人の出というような、いいとこ取りをした感の歩行者天国。オープンテラスのカフェが軒を連ね、二階にはインターネットカフェが多数出店している。こ れならノートPC向けにネット接続をサービスしている店舗も多そうだ。 店舗前に「Wi-Fi」と素直に看板があれば話ははやいのだが、そういった表示をしている店舗はツーリストエリアが大半で、しかも値段が高い。WI-FI チェッカーを片手に街を歩き、ネットワーク名に店舗名が使われている地元民向けの所を探す。 クズライ地区の繁華街を歩いてい驚いたのは 常に4〜8個の無線LANが検出されること。実際にこれほどのネットワークが検出されるとは思ってもいなかった。 そんな中、インスピレーションで決めたレストラン「Piyaz」。中を覗いてみると全席の壁にコンセントが設置されている。店員さんにメニューとネットに ついて英語で尋ねるがやはり通じない。が、ラッキーなことに店長氏は流暢な英語を喋ってくれ、ネットの接続は無料とのこと。また 「うちの回線は早いよ。」と男前な言葉を頂く。 で、注文したスパゲッティ 3YTL(約270円)とカプチーノ2YTL(約180円)。私が入店した時間は お昼から少しずれていたので客数も減り、店員さんもまかないの食事を取り始めたタイミングだった。 広い店舗を貸し切りに近い形で使わせていただき、気がつくと4時間もの時間を使っていた。 気がつくと既に6時。今日は移動を予定しているので既にチェックアウトも済ませている。バスターミナルへは8時頃までには到着したいが、荷物を取るために ウルス地区に戻る必要がある。 ◆ 旅のルート選択 アンカラから先のルートは大きな課題を抱えていた。 以前に予定していたサフランボルはすでに諦めてはいるが、イスタンブールへは一度戻る約束をしている。 ロンドンに向かうにあたり、まずはトルコから中欧に抜ける。そのとき取り扱いに困るのが ギリシャ だった。アテネを外してのギリシャはあり得ないため、トルコから無駄なくルートをつくる際には、トルコ南西部から船に乗り ロードス島とクレタ島 経由で南からギリシャ本土、そのあとでブルガリアに向かうのだ。 ただ、問題はユーロ圏になり物価が非常に高いことと、既に自分の中での命題だったヒッタイトを消化している今、アクロポリスを見ることで得られる感動がど れほどのモノか、期待を持ちにくくなっている 一種 不安感のようなものがあった。 イスタンブールからブルガリアか、イスタンブールからトルコ西部を経由して南からギリシャか? 何気なく本をながめていると、トルコ西部 “エフェス” についての記述があった。 「 … これだけの遺跡はギリシャにもない … 」 『そうだ!ギリシャ帝国は当時、各都市に野外劇場やアポロ神殿を建てていたはず。ギリシャ遺跡自体をみるならばなにもギリシャに行かなくても見られるじゃ ないか!』それは一種、衝撃のような形でわたしを襲った。 アテネを除外してもギリシャには魅力ある都市が数多くある。スパルタ、ミストラ、オリンピア …。 何かで代替できるものではない。が… エフェス − イスタンブールで滞在しているとき、すれ違う 旅行者達が向かった場所。当時わたしは旅に疲れて 1ヶ月間を無為に時間を過ごしていたとき、彼らはそこに向かっていたのだ。 イスタンブールに戻るにしても、エフェスからならトロイに立ち寄って戻ることが出来る。悪くない。 ギリシャに行くには私の中で意欲を高める必要がある、つまりは日本に帰った後だ。それに欧州に入ってしまえば否が応でも旅のスピードを上げていくだろう。 そんな中でギリシャに向かっても大事なモノを見落としてしまいそうだ。 ギリシャ… 次の旅に取っておこう。 それが私の結論だった。 ◆ さよなら アンカラ。 ウルスからのドルムシュがオトガル(バスターミナル)に到着したのは午後7時30分頃だった。もう少し遅く到着する予定だったが、ドルムシュとオトガルか ら夕日を見ることが出来たので良しとしよう。 アンカラからエフェス(都市としてはセルチュク)に向かうバスは夜行があるに違いなかった。地図でざっと目測するに500Kmの距離がある。 アンカラのオトガルに着き、「セルチュク行きのバスチケットは何処で買えるか?」 を聞いてまわると、とあるバス会社を紹介された。その名も “ パムッカレ バス カンパニー ” で扱っているとのこと。 なにやら、ゴチャッと目的地をベタベタ書いた他の会社の看板と一線を画し、シンプルに「PAMUKKALE」と看板を掲げているところに好感を持つ。ま た、他社の2倍小間でカウンターを広げているあたりJTBなどに通じる信頼感を抱かせてくれる。 カウンターの面々も愛想の良い対応で非常に安心してチケットの相談に乗っていただいた。 聞くところに依ると、アンカラからセルチュクへの直行バスは走っておらず、途中のイズミイルでの乗り換えとなるらしい。アンカラ発イズミイル行きの夜行は 9・10・11時の3本あり、イズミイル〜セルチュクへのバスの接続を考えると11時発になるそうだ。かかる時間は7時間。たしかに9時発にも余裕で乗る ことが出来るが、翌朝4時 早朝のオトガル(イズミイル)でミニバスを待つのも苦である。エーゲ海沿岸とは言え まだ寒い可能性もなくはないだろう。いずれにせよ まだ時間がたっぷりある。 一度 時間をいただき、待合室で検討することにする。 『こんなにオトガル内で待つなら、いっそのことエフェスをすっとばして トロイ(チャナッカレ)にでも行ってしまおうか?』などどネガティブな考えが頭をよぎったり、『いや、トルコに再度来るチャンスはすくないだろうし、行こ うよ。』とネガティブなのかポジティブなのか釈然としない考えが頭をよぎったり。 イスタンブールで1ヶ月の充電をしたにもかかわらず、早くも 『また旅に疲れている自分』に気がつく。 当初 予定の通り、「エフェス・トロイ」にするか、消極的発想のもとに 「トロイ」のみにするかを考えつつ、上の空でガイド本を捲っていると、やはり先の文字 「だから、この規模のものはギリシャにはないんだってば!」が目に入る。 『そうだ、俺はこれを読んでエフェスに行こうと決めたんだ。』と自分にリマインドしてみるも、『 … でも、発車まで待つなぁ … 』。。。。 たった2〜3時間、アンカラのオトガルで座って待っていれば良いだけなのだが。。。 目を閉じて、ここまでの旅行を振り返ってみた。。『そうだ。ハットウシャシュのあと 立て続けに遺跡を見ようとしてるから気が乗らないんだ!』 そもそも アンカラ自体、博物館がメインだった事を思い出した。 『気分を変えた方が良いのだろうか?』と考えたのが先か、それとも “ 先ほどのバス会社でもらったメモ書きの会社名” に目がとまったのが先かは自分でも定かではない。 「 PAMUKKALE 」。 イスタンブールで一ヶ月の逗留をするより以前から、今回の旅のルートへは意識的に組み込まずに来た地。石灰棚、パムッカレ。 日本に帰ってのち、誰かと話しをする機会があるだろう。そんなときの為に用意してある言葉、「私は行ってないのですが、良いところらしいですよ。」 … 格好良くないかも知れない…。 あまり関係ないが、バス会社名も「パムッカレ」だし。 『行くか!』と結論付いた私はバッグを背負い直してカウンターに向かう。 勢い満面の笑みでカウンターに向かう私を視認した彼の「セルチュクに行くんだね」と聞いてくる言葉を遮った私は100%の元気で、「NO セルチュク、NO イズミイル」、「 i go PAMUKKALE!!」と伝えた。 一瞬、意外だったような顔をみせた直後、ヤツはニヤッと笑う。自社の看板の地に向かう形で 自分の目的地を変更した ちょっとクレイジーな外国人を目の前にしているのだ。そんな状況の中、あとの話は早い。 「OK!普通は28YTLのバス代だが、Only for Japaneseで25YTLにしようじゃないか。」と勝手にディスカウントまでしてくれる。 パムッカレにしても アンカラからの直通は無く、車で20分手前の街 デニズリまでの便となる。またデニズリからのミニバスの発車時間を考えると アンカラ発は午後11時なのだ。ただ、自分がまったく考えてもいなかった地 パムッカレに向かう という心境の中、私のテンションは高かった。 そんなテンションは伝播するらしく、パムッカレ・バス・カンパニーに勤める従業員のウチ1名がにこやかに私に寄ってくる。カウンター氏曰く、「彼の母親は 日本人なんだ。」とのこと。彼の顔立ちをみるに それが誠か嘘かは定かではないが、そんな疑心に頭の回転を割く余裕は無かった。「ブラザー!ブラザー!」と言いつつ抱擁を求めて来られ、そして、いい年し たトルコ人オヤジから両方のホホにキスをされてしまう状況を理解するのに 脳がフル回転を要求したのである。 (街中でトルコ人男性同士が挨拶のキス(ホホへ)をするシーンはよく見ているが、正直、見ているだけでも結構ツライものがある。) トラブゾン滞在中に12歳の女の子から オヤスミのキスをしてもらったが、そっちの方が100万倍よかった。 さて、まだまだ時間は有り余っているが、オトガル内のレストランで夜食のハンバーガー(3YTL)を頂き、本など読んでマッタリと時間を消化する。 レストラン内には比較的大きなTVが設置されていて、サッカーの試合を映すそのTVの前にはトルコ人が黒山を築いていた。 時間はちょうど11時、バスはパムッカレ手前の街 デニズリに向かって走り始めた。
外人さんが珍しいのか、トルコ人のオノボリさん団体から「写真を一緒に撮ってくれ」攻撃を5連続で食らう。全員で纏めて撮れば早いのに、ナゼか1on1で の撮影。彼女たちのカメラは普通のフィルムだったのが2007年のトルコらしさか。 同 アナトリア文明博物館の館内にある獅子像。めっちゃかわいい。 同 アナトリア文明博物館にて展示の壁画 ヒッタイトの戦車を表した図画 ウルス地区にあったレストラン「タベルナ」 「タベルナ」は普通ギリシャで用いられるレストラン表記だとおもうのだが。 隣の写真は、タベルナの看板の下にあるスーパー。の店頭でフルーツを売ってるオジサン。 私は「タベルナ」を撮りたくてカメラを構えていたのだが、おじさま達のご要望にて一枚撮影。 |