ハットウシャシュ Hattusas

ヒッタイト − 人類史上 最初に「鉄」を発見したとされる文明である。私が最も好きな文明であり、その都市遺跡 ハットウシャシュ に向かおうと決めた理由でもある。
PCゲーム「 Civilization 」ではプレイヤーとして好んでヒッタイトを選択していたし、妹の本棚にあったコミック 「天は赤い川のほとり (篠原千絵)」 を何気なく手に取ったときは驚喜したものだ。

今回は久しぶりの一人旅となる。
イスタンブールからカッパドキアへと一緒に来たメンバーは、既に各々の方向へと旅立っている。一人はシリアへ、一人はサフランボルへ。 思えば、イスタンブールに到着してからここまでの1ヶ月は 日本語にどっぷりと浸かった生活だった。
カッパドキアの宿でカナダ人と小一時間の雑談をしたとき、自分の英語スキルがこれほど低下しているとは想像していなかった。また少し 鍛え直す必要がありそうだ。そのためにも日本人から距離をとる必要がある。
一人旅、旅もまた一人。


◆では行きますか。

カッパドキア (ギョレメ村) から  ハットウシャシュ (ボアズカレ村) に向かう直通の交通手段は無い。ギョレメのオトガルで聞いたところ、バスを2回乗り換える必要があるらしく、「まず カイセリ という中規模の街で乗り換えて ヨウズガット、そこで ボアズカレ 行きに乗り換えろ。」 との事。まずは明日のカイセリ行きバスチケットを7YTLで購入し、早朝7時15分のバスに乗り込んだのである。

バスは定刻ちょうどに走り始め、1時間と15分後の 8時30分ジャスト カイセリに到着。バス停へと到着するまでに眺めた街を見るに、大きすぎず かといって小さすぎない、程よい規模の街のようだ。



オトガルのインフォメーションで「ボアズカレまで行きたい。」旨を伝えると、やはり 「ヨウズガットで乗り換えだなぁ。」とのこと。カイセリ から Yozgat(ヨウズガット)へのバスは10YTL (約 900円)、3時間30分のミニバスでの旅となる。9時発のミニバスまで少し時間があるようなので、朝飯代わりのパン50クルシュ(約45円)のパンを所 望。出発前のミニバスを撮影していると、チケットカウンターと運転手の兄さんが「俺らを撮れ。」と寄ってくるあたりがトルコ風。


ミニバスは9時ジャストに出発した。

少し気になることがある。隣に座ったトルコ人の若者が少し挙動不審なのだ。最初は『外人が珍しくて絡みたいのだが、言葉がわからないからシャイになってい るのかな?』 程度に考えていたが、彼が携帯電話のメモ帳に英語を書き始めた。(何気にNokiaの良い機種を持っている。)
その打ち込んだ文字を読むようにと、わたしに携帯を渡してくれる。 - I am deaf turkey -  書かれていた文字を見ても「ピン!」とは来なかった。そんな私を見てか、彼はその後、両手で耳を指し「ダメなんだ」と手をパタパタ振る仕草をした。私は やっと理解した、と共に、[ deaf ] という単語が脳味噌の深いところから蘇ってきた。
この単語をリアルに目にするのは受験勉強を除いては初めてだったかも知れない。

「喋る言葉」が「紙や携帯画面の文字」に置き換わっても大した違和感は無くコミュニケート出来たことは 静かな驚きとして、私の記憶に残るだろう。ノートを読み返して、話の主題がいつもの通り 宗教・その国の社会・歴史・日本の文化・私の旅 等だったが、筆談をすることで、後に読み返せるのも考えようによっては便利である。

その後、彼がヨウズガットの100Km手前の街 Sarikayatで降りるまでたっぷり2時間の筆談を楽しみ、彼はバスを降りた後も またバスが出発するまで見送ってくれた。


Sarikayatのオトガル(バスターミナル)では、祭りの用意が着々と進められていた。『もしかしたら彼はこれに参加するために帰省したのかもな。』 と思いにふける私を知らずバスは出発した。


◆ヨウズガット到着

12時30分。カイセリを9時ジャストに出発したバスは3時間30分の行程をこなし、ヨウズガットに到着した。

ターミナルの中に入ってみて愕然としたのは、営業しているバス会社のカウンターが2ヶしか無いことだ。その代わりに空室になっているカウンターが10以上 ある。
また、悪い予感は当たるもので、ヨウズガットから ボアズカレ行きのバスは走っていないという事実が判明する。ある程度の情報収集はしていたが、ここまでのオトガル(ギョレメ・カイセリ)では「走ってい る。」と言質を得ていただけに気持ちの落胆は避けられない。加えて、バスのチケットカウンターで『どうやってバスで行くか?』を検討している最中にも、タ クシードライバーが 「往復70YTL(約 6300円)で往復してやる。」とウザイ営業攻勢をかけてくる。

ハットウシャシュのあるボアズカレは、ヨウズガットからなら スングルルへと北上するルート上にあるため、「スングルル行きのバスはあるか?」と聞いてみるが コレも「無い」との返事。スングルル自体へは アラジャ を経由すれば着くが、ボアズカレ自体をどえらく迂回するため時間も費用も掛かるし、それよりも スングルルで一泊が入る可能性が高いので検討する価値は低い。

私はサフランボルに急ぎたいと考えていた。ギョレメで別行動になった1人がサフランボルにいるのだ。いたずらに時間をかければ、再会は難しくなるかも知れ ない。

タクシーチャーターで70YTLの価格を聞いたとき、『それだったら、ヒッチハイクで行きますよ。』と頭をよぎった言葉を真剣に検討し始め、また別の思考 回路が 『いっその事、ハットウシャシュをあきらめて アンカラ経由でサフランボルに行こうか。』などど思案が始まった。 オトガル前のベンチに座り、そんな物思いにふけっていると… 5分ほど時間が経っただろうか、人の良さそうなオヤジがトルコ語で話しかけてきた。

人なつっこい現地民だろうか?それとも? いや、タクシードライバーにしてはやたらと人相が良い。
念のため、「タクシードライバーか?」  私が訪ねると 彼は「そうだ。」と答えた。このタクシードライバーなら信用できそうだ。大きな問題として、トルコ人の大半は英語が喋れないし、私もトルコ語を喋れない。 大半の例外に漏れず彼は英語が喋れなかった。 そんな彼は 私がトルコ語を喋れないと知るや、ちょうど横を歩いていた学生を捕ま えて通訳を頼んでくれた。
しばらく雑談を楽しんだ後、本題の料金交渉が始まる。
ボアズカレまでは片道35YTLとのことで、「高いねぇ。」という私の言葉に 「君をボアズカレまで運んだ後、俺はここまで帰ってこなければならないだろ?だからさ。」と返してくる。

その言葉を聞いた瞬間、私の脳味噌は急に回転速度を高めだした。交渉の余地を見て取ったのだ。

私「往復は?」
ド「70リラ」
私「なんで片道の倍額なのさ?乗車が片道でも 君はまたここまで帰ってくるだろう?」
私から通訳へ「君は往復70リラってどう思う?」
通「う〜ん。何とも言えないけど高いとは思う。」
ド「じゃぁ、いくらなら乗る?」
私「地元民と同じ値段なら。」
ド「同じ値段だよ。往復100Kmあるんだから。」
……通訳の主観も交えて交渉を続け、最終的には60(ドライバー)と50(私)の間を取って55YTLで決着した。

もしかしたら地元民は値切らず乗っている可能性はありつつも、彼自体 値切り交渉のやりとりを楽しんでいたように見える。最終的に額が決着した頃には、通訳(2人)を含めての4人はとても仲の良い友人に見えたかも知れない。


◆ハットウシャシュに向かう。

午後1時、ヨウズガットのオトガルを出発したタクシーは中部アナトリア高原を駆け抜けていく。速度計は80Km/h。かなり良いペースだ。

しばらく乗っていて気がついたことがある。対向車がほとんど居ないのだ。ボアズカレへと続く40Kmの道程ですれ違った車はわずか5台に満たなかったの だ。オトガルで「バスは走ってない。」と言われた理由が少しかいま見えたように感じる。こんなに対向車がすくないなら、なにもタクシーの後部座席に収まっ ている必要は無いだろうと、運転手に前の席に移りたい旨をつたえ、助手席にて高原の写真を撮りまくったのだ。

1時30分、運転手が「ボアズカレだ。」と笑顔で伝えてくれる。

わずか100軒前後の家屋が並ぶ 「ボアズカレ村」。こんな片田舎に太古 ヒッタイトの首都があったのだろうか。
タクシードライバーは村に入る手前で、お約束の土産物屋に立ち寄った。長旅をしている身にお土産も無いだろうが、彼の親切心と勝手に良い方向に解釈するこ とにする。

さて、やっと到着したハットウシャシュ。入場料4YTLを支払い、タクシーごと遺跡の中に入っていく。



チケット売り場の前には一台のマイクロバスが停まっていた。どこの街から来たツアーかはわからなかったが、西洋人とトルコ人が8人ほどミックスされたツ アーの様だ。彼らのツアコンがちょうどチケットを分配していた所で私は自分のチケットを買ったのだが、そのときの彼らの視線が少し気になる。『自意識過剰 かな?』とも思うが、遺跡に日本人が一人でタクシーを乗り付けるのだ。「ジャパンマネー」という イヤな言葉が頭をよぎるが、大したタクシー代は払っていない。気にしないことにして遺跡を巡るとしよう。

遺跡自体は思ったよりも大きな規模で残っていた。元が王都なので狭いわけはないのだが、車でなかったら2日コースだったかもしれない。



◇大神殿と住居跡

チケット売り場からすぐにある、大神殿の遺跡。土台のみが残る。
多数の倉庫と神殿。数少ない観光客。外国人の姿は全くと言っていいほど見あたらない。もしかすると入り口で見たマイクロバスに乗っていたのはトルコ人だっ たのだろうか。


『アンコールワットを越えた。』 遺跡を比べるなどと無粋な事はしない主義だ。一般的にはアンコールワットの方が高い評価を受けていることはわかっているし、規模の大きさも向こうの方が上 だ。
ただ、自分が何に興味があるかで、見るものの価値が変わる。正直 ここに来るまで ハットウシャシュが自分にとってこれほど衝撃的な場所とは考えていなかった。そう、ここは美しいのだ…

 
おそらくはボアズカレ村に住む老人達と、一緒に談笑する警備員。彼らの送る時間は豊かだ。


◇ライオン門

タクシーを5分程走らせ、斜面を登ったところでライオン門に出会う。

ライオン門の外側には緩い傾斜の坂道が続いていた。おそらく 故 藤子・F・不二雄氏はここに来たのだろう。私のバイブル(マンガ) 「T・Pぼん」に出てくる描写がここなのだ。
例によって私は驚喜していた。


◇スフィンクス門とトンネル

飾られているスフィンクスはレプリカだが、ほとんど原型をとどめていない。それでも要塞としての立地がこの地の重要性を物語っている。


スフィンクス門の真下に長さ70mのトンネルがあり、戦時には突撃用(背後急襲?)として用いられたそうだ。

スフィンクス門の高台からタクシーに戻ろうと振り返ると、ハットウシャシュの上市、そこにあった神殿跡が目に飛び込んできた。

複数の神殿跡とその背後を飾る緩やかな丘陵地帯。季節も最高の春。感動しないはずがなかった。
タクシーに「少し歩く。」と伝え、神殿に近づきつつ 私は緩い坂道を下る。


◇王の門

思いっきりレプリカであることを主張している 王の門。



◇ニシャンテペ





◇大城塞



階段を上ったところで、ガイドブック売りの初老男性と話しをする。「ガイドブックは買わないよ。」との言葉を意に介さない彼は 「まあ、話相手になれ。」と言わんばかりに遺跡の説明を始めた。そのうちに「絶好の場所がある。」と少し歩いたところで、大神殿跡を一望出来る高台まで案 内いただき、時間を忘れて二人で座談に花を咲かせた。
ボアズカレ在住の彼は、もともとここで警備をしていて退職後もガイドブックを売る形で、遺跡に関わり続けているのだという。遺跡の一番正面に作られている 城壁は彼の説明によると 「JT (Japan Tabbaco)が作った、ジャポン、グッド グッド」と褒め称えていたが、到着当初からあの城壁に少しの違和感を感じていた私は、彼の意見には素直な同意が出来なかった。


その城壁。


◆帰ろう。

ガイドブック売りのオヤジに「タクシーが待ってるから。」と別れを告げるが、彼は一緒に降りてくる。タクシーまで一緒に着いてきて何をするかと思えば、お もむろにタクシーに一緒に乗り込んできた。後で聞いたところ運転手に「家まで送ってくれ」と言ったらしい。ウチの運転手は事情の飲み込みが速く、入場門ま での送迎で話しを纏めたようだ。

帰りの車中に鼻をかんでみると、鼻血が少し出ていた。自分では気がつかなかったが よほど興奮していたのだろう。遺跡は数あれども 自分が鼻血を出す遺跡はここぐらいのものかも知れない。


4時15分、タクシーは ヨウズガットのオトガルに戻った。

往路の30分強に比べて、復路が約45分掛かったのは、
帰りの車中で少し話しをしたからだろうか。もちろん彼は英語が出来ず、私もトルコ語が出来ない。それでも身振り手振りと表情で言いたいことはわかるもの だ。

オトガルについて すぐに アンカラ行きのチケットを購入する。

アンカラ行きは 5時発が16YTL、4時30分発が18YTL、『4時30分までまだ10分程あるなぁ。隣は5時発かぁ。急ごうかなぁ、それとも安い方にしようか なぁ?』などと考えていると、カウンターから「急げ!」と捲し立てられた。
どうも、4時30分発のバスが、10分早にもかかわらず出発するようだ。そんな状況にカウンターのお兄さんも少し焦っているようだ。
精神状況とは伝播しやすいもので、私もつい勢いに乗り「 じゃ16リラにまけて」と言ってしまった。(普通、トルコ人はバスを値切らないらしい。)
チケットを既に書き終えている兄さんは、「しょうがねぇ、OKだ。」と、チャッチャと “ 16YTL” と書き直してくれて商談が成立した。

兄さんは私にチケットを渡すやいなや、カウンターを出て駆け足でバスまで誘導する。私もつられて早足となり、私がバスに飛び乗った瞬間、アクセルを踏まれ たバスはアンカラへと向かったのである。


『あわただしい一日だった。』と振り返りながら、バスの車窓に気持ちを乗せ、イヤホンから流れてくる曲にに耳を傾ける。ヨウズガットからアンカラまでは約 200Km、バスは急ぐふうでもなく心地よいスピードで走り続けた。

夕暮れ時、トルコの首都はアンカラ郊外の町並みに陽が沈んでいく。そのとき聞いていた曲「カントリー・ロード」がココロに染み入ってくる。


3時間と40分後、ヨウズガットを4時20分に出発したバスが アンカラにあるオトガル(バスターミナル)に到着したのは、日が暮れれた直後の8時ジャストだった。
出来れば今日中にサフランボルまで移動したかったのだが、この夜中 さらに3時間のバスは無謀だと気づいた私は、この街に投宿して、見たい物を見ようと気持ちを切り替えた。




◆オマケの写真館

アンカラに向かうバスでサービスされたドリンク。

ジュース(コーラ・ファンタオレンジ)、コーヒー、紅茶から選べるが、今回はコーヒーをチョイス。
乗務員氏がオマケで2つコーヒーをくれたことで、私は小さな幸せを感じたが。そのうち片方はなんの間違いかコーヒー豆の代わりにクリームが2個入ってい た。仕方がないので、コーヒー1 とクリーム3、砂糖2の 「なんちゃってロイヤルミルクコーヒー」を美味しく頂く。

アンカラ市内にある大規模ショッピングモール。

大規模小売店「MiGROS (どこの系統かは知らない)」と、併設されている「トイザらス」。
立派な中進国(準先進国?)である。さすがは “自称ヨーロッパの一員”。

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