ドウバヤズット Dogubayazit

ドウバヤズットの町に着いてすぐに感じた違和感がある。
国境を越えてすぐといっても良いかも知れない。

普通の服装の女性が歩いているのだ。
トレーナーの上下、Tシャツの上にブルゾンやコート、ジーンズパンツ、またはスーツだったりする。
そして顔が見える。もちろん髪も。

考えてみればそれはインド以来のことだった。
パキスタンではそもそも外を歩いている数が少ない上にスカーフを被っていた。
イランでは、町ゆく女性の数はパキスタンに比べて多かったが、チャドルと呼ばれる黒い被服で頭からつま先までを完全に覆っていた。失礼を承知でたとえるな ら「黒い物体が道を歩いている」と言えるのかもしれない。

そんななかで 「地球の人口の半分は女性」という あまりに当たり前過ぎることを私はすっかり忘れていたらしい。

とはいえ、慣れるのは意外に早いらしい。到着早々に感じた新鮮な驚きは、翌日にはすっかり消えていた。


◆初日の散策と食事


ドウバヤズットの町に一泊7.5YTLの部屋を借り、荷物を置いた私は早速 町の散策に出る。3月9日、トルコ東端の高地、海抜1500メートルのドウバヤズットはブルゾン、手袋、マフラーを着込まなければ歩けないほど寒い。周り の山地に比べて少し盆地となっているのだろうか、街中には雪は見あたらず所々にぬかるみがある程度。雪解けによって出来たぬかるみとするならば、まだまだ 気温はさほど低くないようだ。

町に出てすぐにカードが使えるATMを発見する。
イランでは銀行カードが使えずに、持ち込んだUS$現金に頼る生活だったため、ATMを見るだけで西側経済圏に戻った感が強く感じられる。

まずはトルコ入国の橋頭堡として訪れた町、本来ならば ノアの箱船が漂着したという アララト山(トルコ名 アール・ダア) や イサク・パシャ宮殿 に足を運ぶべきなのかも知れないが、アジアを通過してきたばかりの身には何をするにもその物価の高さに気を取られてしまい、町から出ることは無かった。

そんな倹約強迫症のなか、お金を掛けずに出来る市内観光として、町の東にある小高い丘へと歩を進める。

この丘からはアララト山が一望出来、またドウバヤズットの市街の全容が眼下に広がる。
寒風がほどよく耳元を過ぎていくのを心地よく感じながら、アジア横断の最後の国、トルコに入国した感慨にふけっていた。
一時間ほど過ぎただろうか、豊田君との夕食の約束の時間が近づいてきた。
丘を降り、すれ違うトルコの小学生達に「メルハバ」と声を掛け合いながら宿に帰っていく。

宿に帰り、従業員の1人にオススメのレストランを聞く。先ほどの丘から町に帰る途中、数軒のレストランから名刺を頂いていたのだが、一食10YTL(約 1000円)を越える価格が果たしてトルコという国の妥当な値段なのかがまだわからないのだ。宿の彼は自分が行くレストランなら4〜6TYLだという、 10YTLも悪いレストランではないそうだが、彼の価値基準では「そんな高いところには行かない。」という。ならば私もそこに行く道理はあるまい。


宿の彼が勧めてくれたレストランで頂く夕食。6YTL(メイン3YTL、ピラフ1.5YTL、スープ1.5YTL)。トルコではロカンタという形式のレス トランが多く、店には行ってすぐに並べられている料理を注文し、奥の席にて頂く形となる。

そして、この料理が人生初といっても過言でない程の感動を届けてくれた。

確かに、見た目の盛りつけからして洗練されている。そして、牛肉の煮込み料理を口に含んだ瞬間、この数ヶ月間、久しく感じることの無かった旨味が私達の味 蕾を襲ったのである。

「ウマイ!!!!」 「なんじゃ!こりゃ!」 を連発し、会話も忘れ、それこそ皿を洗ったかの如く、エキメッキ(トルコ版バゲット)で汁を拭き取り切った。

インド以降、パキスタン、イランの料理がけしてレベルが低いわけではない。ただし、よく言えば素材の味そのまま、悪く言えば大味で、このトルコ料理の様 に、おそらくは下ごしらえから様々な味を織り込んではいなかったのだろう。逆に言えばトルコ料理の芸の細かさ、もちろん日本人として考える日本料理ほどの 手の込みようではないにしても、多層な味を詰め込んだ料理はさすがに「世界三大料理」と言わしめるものだ。



また、小さな商店についても、インド以降の3国とは絶対的な相違がある。
日本では地方都市の小売店のような商店だが、陳列棚に商品が並び、下着も一つ一つが袋にはいって壁に掛かっている。これはここまでの南アジア圏では見られ なかった風景である。
ちなみに、レジカウンター裏にはカミソリ「SAMURAI」という商品が並んでいた。やはり刃物には日本名が似合うのだろうか。


◆ 街角の風景。



ドウバヤズットに居を構えた宿 Suruhanの裏手に広がる市場。
ここでも、これまでに無かった出来事に包まれる。カメラを持つ私を認めた地元民が皆、自分を写真に撮れ。と寄ってくるのである。イスラム圏ではまずあり得 ない出来事にしばし面くらいつつも、彼らの輪の中へと私は入っていく。

市場の横でファミリーパーティーを開いていた家族。
私は『お店かな?それとも家族でなにかをしているのかな?』と少し興味を持った顔で横を歩いていると、目が合った家長に呼び止められ、そのままケバブサン ドを頂いてしまう。

町から望むアララト山。






街中に何件もあるパン屋さん。
トルコでの主食はパンであるらしい。また、ケーキなどのクオリティもかなり高く。イランとトルコの国境はいろいろな意味で壁が高いのだと思い知らされる。

ドウバヤズット。トルコに入った事による物価の大きな隔たりはあるものの、住みやすさであるとか、環境を考えると非常に優れた町であることに疑いはない。

ただ、私は忘れていた。「自分が高地に弱い」と言うことを。
2日目の日中からすこし頭痛と気怠さを覚え、寒さから風邪でも引いたかと考えたが、地図の横に記されていた「海抜1500メートル」の文言に気圧の低さを 確信する。

翌日朝、ドウバヤズットのオトガル(バスターミナル)に低地、沿岸部へと向かう私がいた。



◆オマケの写真館



スーパーマーケットで買い求めた品々。水1.5リットル 50クルシュ(0.5リラ、約45円)。ザクロジュース1リットル 2.99リラ。 チョコクランチ1.15リラ。M&Ms 74クルシュ。


トルコリラ札 とコイン。


レストランでの食事を写真に納めようとしたところで乱入してきた従業員。
トルコではこのような事態に陥ることが多々ある。まぁ、しかし男前じゃのう。


3月になって幾分は過ごしやすいとはいえ、トルコ東部山岳地域。年間の最低気温がマイナス40度になることもあり得る地域のため、室内にはストーブが置か れている。Suruhanホテル 一泊7.5YTL。


町で見かけたタクシー。TAKSi とはトルコ語の表記であるらしい。

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