ダージリン Darjeeling
ここまでの旅が非常に順調だったのは、常夏だったからかも知れない。それが今、変わろうとしている。 7月から始まったこの旅は、熱帯・亜熱帯を通過することで文字通り常夏を満喫する旅だった。 この年、初めて秋口の雰囲気を感じ取ったコルカタを1週間足らずで離れ、北に向かおうとしている。 あと2〜3日で12月になろうとしていたが、私はすっかり「冬」というものを忘れていた…。 ◆ダージリンに向かいましょう。 紅茶の産地、ダージリン。実際にはダージリンはかなりの高地にあるので、そこより標高の低い辺りでの栽培がメインではあるそうだが。もしかするとエベレス トも見られるらしい。あまり山には詳しくないのだが、山好きに言わせるとカンチュンジュンガ(8600m)が良いらしい。 さてと、インドでは鉄道駅の写真は基本的にNGらしいので、コルカタにあるシアルダー駅構内の写真は無いですが、結構広いです、この駅。やっぱり人口が根 本的に違うんでしょうね。日本の約10倍ですから。 午後10時5分に出発した電車。最初は座席の状態だったものの、時間が遅いこともあり、速攻で3段寝台に組み替えられる。3段寝台の中段は座席の背もたれ を持ち上げることで組まれるので、中段の人が「俺、寝る。」となると座席が消えてしまうのだ。 朝6時頃、夜が白々と明けてきた。8時20分にはニュージャルパイグリー駅に到着。 駅前で客引きをしている、ジープタクシーの運ちゃんと値段交渉をする、最初は100ルピーだったのが90ルピーまで下がったところで、ジープに乗り込む。 ドライバー込みで10名の大所帯。最後に乗り込んできたドイツ人は80ルピーになったそうだ。最後のバーゲンセールとはいえ、少し悔しい私。つっても10 ルピー(約30円)の差ではあるのだが。 8時45分にはジープが走り出した。ここからは険しい山道の予定である。 10分後、ジープが止まり、給油し出した。ナゼか給油は客を乗せて行うのがこの辺りの流儀であるらしい。 さっ、気を取り直して、坂道をグングン登っていきましょう。 む、いかん。こいつは…。気を抜くと酔いそうだ。腹筋に力を入れて、胃袋が揺れないように頑張る私。しかし綺麗な風景じゃのう。 11時頃、チャイ休憩が入る。私の2つ向こうに座っていたドイツ人がカンペキに悪酔いしているようで、草むらでゲーゲーやっている。かわいそうに。こうな ると助手席と場所を代わってもらう程度しか対応がない。 同席していた日本人が「俺、自衛隊が使ってる酔い止め持ってるんですけど、酔っちゃってたら、あげても遅いんですよねぇ。」って。なんでオヌシはそんなの 持ってるんだ? 座席替えを終わらせたジープは再度走り出す。 途中、「ド」デカイ電波塔のある集落を越えたあたりから、気温がグングン下がり出した。ヤバイ。マジでヤバイ。防寒装備を何も用意していない私は、命の危 険を感じ始めていた。 午後1時30分。ダージリンの町中にあるタクシースタンドにジープが到着した。 『サ…サム…サムイ…』である。叫ぶ元気など無い。そもそも半袖のインナーシャツだけだったのだ。昨夜の列車の車中でバックパックを開けて長袖薄手のコッ トンシャツを羽織り、そして、ジープの中で小さめなブランケットを肩に掛けて、これで最強装備なのだ。 例えて言うなら「ひのきのぼう・おなべのフタ」で竜王の城に行こうってのがそもそもの大間違いである。 日中は日が差しているので、まだ救われるが、夜を考えると非常にヤヴァイ。 同じジープで到着した5人の外国人のウチ、超悪酔いしたドイツ人はタクシースタンド横の宿に無条件で決めたようだ。残りの4人で宿を探しに町へ出かける。 途中イングランド人はシャワーのお湯がバケツ供給の宿に決めて離脱。残りの3人で、もう1時間ほど探し回り、ちゃんとお湯の出る宿を見つけた。 インド人オーナーだが日本人女性が奥さんという、管理のちゃんとした宿である。 ◆メシ。 時間は3時近くである。さすがに腹が減っているので遅い昼飯を頂くことにする。 メニューを見るとヌードルがある。んで注文したところ、出てきたのは「すいとん…」 点心っぽいが「モモ」という蒸し餃子のようなモノ。ダージリン地方はもともとネパール領だったこともあり、文化としてはネパールとほぼ同等。そして料理も チベット、ひいては中国の影響を多分に受けているようだ。 ◆町中のバザールとか。 夕方になって気温がいきなり下がってきた。ヤバイ。 町の中心部にあるバザール。小売店が軒を並べて、衣料品を売っている。右の写真はそのバザールで鶏を抱えて運ぶ人。20羽ぐらいの鶏が籠に入っているのだ が、なんちゅーか、シュール。 日中からジャケットを探しに探しているのだが、なかなか「コレ!」ってのが見あたらない。そもそも売ってる商品が20年前に日本で流行ったようなデザイン ばかり。むむむっ。 数時間におよぶ衣料品店制覇の後に、やっとこさ「それなり」なジャケットを購入したのである。 ◆町の風景なんぞ。 ダージリンの町中から駅の方を見下ろしてみる図。 デッカイ建物はシネマコンプレックスとショッピングモール。天気が良いとデッカイ山が見える。 町自体が急な斜面にあるため、家屋の造りも特殊で、家屋は上に行くほど間取りが広くなる…。なんだろう…この違和感。。 怪しげな寺院。チベタンな香りがしないでもない。 ◆ダージリン・ヒマラヤ鉄道 世界遺産に登録されているらしい「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」。別名 トイ・トレイン。 駅の写真は、この終点「ダージリン駅」である。 ◆シネコンのうら シネコンの裏手には高校があり、その横の空き地ではクリケットに熱中する地元少年達の姿がある。 クリケットのルールもよく分からない中で彼らのプレイを見ていたのだが、今度はチビッコが寄ってくる。 で、行動を共にしていた日本人が“チェキ”でチビッコを撮り、その写真を彼らにあげている。 その日の夕食としたモモ。 ベジタブルモモの35ルピー(約100円)から、鶏モモの50ルピー(約150円)まで豚、牛各種のモモが揃う。 さて、翌日、ダージリン鉄道に乗ろうと心に決め、再度駅に向かう。 外国人向けのツアーはアホ程高いので、次の駅まで乗って、帰ってこようと考えていたが、どうやら列車が遅れていて、この日の午後はダージリン駅から発車し ないようだ。 ならば、逆説的に、1つ手前の駅まで歩き、そこからダージリンへ向かって電車で帰ってこようと考える。 ダージリン駅から隣のグーム駅まではグネグネ道で8KM。歩けない距離ではない。と、歩き出す。 で、歩きに歩いた1時間。『ちょうど半分かな?』と思っていたところで、4KMの塚を発見。 正直へこたれていたので、乗り合いジープを捕まえて、残り4KMを気楽に進んだのである。 そして、やっと着いたグーム駅。何の因果か、ものすごい霧。 さて、窓口で列車の予定を聞くと、「ダージリン行きはあと2時間ほど待たねばならん」という。ので付近を散策してみました。 外国人が珍しいのか、子供達が大挙して寄ってくる。友人の“チェキ”のフィルムももう底をつきそうな感じである。 2時間ぴったり時間を潰してグーム駅に戻ると、「運行が遅れていて、列車がこの駅に着くのはあと6時間かかる。」、だそうで。結局、ダージリン・ヒマラヤ 鉄道に乗ることは諦め、再度、乗り合いジープでダージリンまで戻ったのである。 ◆タイガーヒル ダージリンの町から10KMほど南にある高台。毎朝ダージリン市街からタクシーが出ていて観光客を運ぶ。お値段は交渉制で、だいたい60ルピー(約180 円)と、少々お高い。 朝日とともに見る山の風景が最高とのことで、4時にタクシーを拾うべく3時30分に起床。サムイ…。 真っ暗な丘に着いたのが大体5時頃。サムイ…。 徐々に観光客が増えてくるが、南極でブリザードに吹かれるペンギンの如く、みんな固まりだした。 物売りもやたら寒そうにやってくる。で、買ってしまった手袋20ルピー、帽子30ルピー、チャイ5ルピー。 結局、この日は曇天で山は何も見えませんでした。葉書売りのお兄さんが「晴れてたらこんなのが見えるよ。」と見開きの写真を貸してくれたので、脳内で山を 見たことにする。 完全に日が昇り、帰り始める観光客。と、タクシーがセットで連れて行ってくれた早朝のバザー。 そうですか。線路の上で行商をしているのですか。 ◆シネコン。 旅の本編とは関係ないですが、007を上映していたので思わず見てしまいました。 インド映画では上映途中に休憩が入ると聞いては居たのですが、まさかハリウッド映画のインド上映でも休憩が入るとは予想していませんでした。インド恐るべ し。そして上映が終わったあとの床にはピーナッツの殻やら菓子の袋やら飲みかけたジュースやらが、もう見事に散乱していて、ネパール文化に近づいていると 油断していた私に「まだここはインドだよ〜ん。」と教えてくれた。 で、映画のあとでちょっと上級な茶店でコーヒーを飲む。 ◆ さようならダージリン。 まぁ、間が悪いというか、タイミングがずれたと言おうか、それともラッキーだったのか。一番晴れやかに山が見えたのは、ダージリンを離れゆく乗り合いジー プの車窓からだった。 この日は7時に起き、一緒に移動する3人で朝飯代わりのインド風和菓子とチャイを頂く。8時にはダージリンからシリグリーに向かう 乗り合いジープ(3時間、80ルピー)に乗る。途中の絶景ポイントでジープが停まり、5分ほどの時間をくれる。こっちはもう、写真を撮りまくりである。あ りがとう。 標高1x00メートルのダージリンから一気に山を下っていく。車が進む度に気温が上がっていく。 途中で、分厚いジャケットが邪魔になり、休憩時にバックパックへ詰め込む。 さらに数分後、11時にシリグリーに着いたが、もはや「夏・アゲイン」となる。 実はここに至るまで、私の体調は非常に優れていなかった。手足の冷えからか、それとも低気圧からか、風邪を引き続けているような、そんな体調が続い ていた。体の節々の疲れと筋肉痛。肩コリと足裏のコリ、特に背中の全面が凝っているのだ。 それが、山を下った瞬間に、いや下りの道程において、どんどん体調が良くなっていくのである。 麓に着いた頃には、「サマー!」と叫びたくなる程に体調は完全に回復していた。 そんな「夏・アゲイン」な町、シリグリーで昼食のチャーハンを食べ、国境へ向かうタクシーをチャーター(1時間、250ルピーで1台、3人分)し、国境に 針路を取るのだ。 12時に走り始めたタクシーはお茶っ葉を生産している緑地帯を越え、一路国境へと向かう。 ちょうど一時間後の午後1時に、イミグレーション前にタクシーが停車した。 出国審査…、というか、お爺ちゃんがブ厚い管理伝票に手書きをする間、我々はしばらく待ち続け、30分程掛かっただろうか、やっとネパールへと続く橋を歩 み始めるのである。
ダージリンで見かけた犬たち。
看板の嵐。と、インドらしいデカイ看板。 |