ヤンゴン Yangon
◆ヤンゴン空港 タイのスワンナプーム新空港からAir Asiaの機体が飛び立ったのは朝の7:15だった。ヤンゴンには8:00に着陸するのだが、では45分間のフライトかというとそうではない。30分とい う微妙な時差を持っている為、実際には1時間と15分のフライトで到着したことになる。話がすこし逸れるが30分や15分という微妙な時差を設定している 国はほぼこの国と同じ東経に集中するそうで、小生、歴史に詳しくはないが設定された経 緯を知りたいという気持ちが湧いてくる。 同じ便でヤンゴンに向かった乗客は全部で30〜40人程、ボーイング737-300のさして大きくない機内で乗車率が30%にも届かない寂しい便だった が、ラッキーといえば3人席を 占拠して横になっ たことであろうか。 写真左は到着機の窓から空港を撮したもの。正直なところ「なんだ??この田舎????」としか言葉が思い浮かばない。そのときに言葉にならないまでも「や ばい。まずいところに来たかも知れない。。」という気持ちが自分の中にあったことを今は認識できる。 飛行機にタラップが設置され数時間ぶりの外気、熱帯特有の温度が再度僕を包む。国が違えば空気も変わる。タイから来たとは言え、やはり空気は違っていた。 タラップを降りたところに毎度のバスが待っている。1つのバスに全乗客が乗れてしまうことからも、さしたる乗客数では無かったのだと改めて感じ入る。 写真右は空港ビル横まで移動を終えたバス。写真からバスが運転された距離が想像出来るとは思うが、自分が感じた時間としてのバス乗車時間はおよそ20秒程 度。先ほど「田舎」と書いたが、もう少しかみ砕くと「ここは地方空港?」、もうすこし悪く言うと「モデルプレーン用の空港?」といえる。そう感じた事を1 番目の違和感(不信感と言っ ても過言ではない)とすれば、「20秒のバス」もまごうことのない違和感であった。 3番目の違和感が早くも訪れた。空港の天井が開いているのだ。写真では見づらいが角材やら配管、特に配管を包むアルミ箔が露出している。単に改修等の工事 を行っているだけと思いたいが(実際、その通りなのだが)、廃材や砂埃、その他のゴミが空港利用者用の通路に「ここは俺たち廃材の場所だ」と言わんばかり に雑然と鎮座している。私には状況を理解するのが難しいように思えてしまう。 空港の玄関を抜けると、そこは間違いなくミャンマーだった。インドに近い文化を持ち、同時に東南アジアの文化も持つ。一番最初の洗礼はポーター(荷物運 び)の執拗なバッグ取得攻勢、続けて来るのはタクシーの客引きである。事実、玄関先には50人程の職業不詳な男どもが異邦人などの「飛行機に乗れる経済力 を持つ人間」を待ちかまえている。わたしは既にガイドブックに従い、空港内でタクシーの手配を済ませていたので客引きに捕まることは無かったが、ポーター には実にまいった。タクシーまでの目測3メートルの距離で荷物を運びたがるのだ。いくらのチップが欲しいのかはまったく想像も出来ないが、少なくとも私に とって彼らは非常に鬱陶しい存在となったことは疑う余地がない。「俺の鞄にさわるな!」と言った瞬間は後ずさりするものの、何度言ってもまたすぐに寄って くる。同じ人間として言いたくはないがまさに「ハエ」と形容するしか言葉が見つからないこともあるものだ。 ◆初日に泊まったゲストハウス ひどいところに来たもんだ。と思いながらもタクシーに乗り込みまずは一安心。ドライバーにダウンタウンに向かうようにお願いし、1時間の車中から風景を眺 めようと思った。しかし、目に入ってくるのは前方を行き交う車がはき出す黒煙が主となり、いかにそれを吸わないように呼吸を制御することに心血が注がれる のである。やがて車はダウンタウンにたどり着いた。が、まさか運転手がゲストハウスの場所をちゃんと判っていないとは思いも寄らなかった。乗車してすぐ、 通り名と番地まで伝え、「わかったわかった」とあれほどおまえは言っていたではないか。結局は自分が地図を読み、指示を与えた方が早いと思い、実行し、結 果、その通りであった。 あまり本意では無かったが日本人が多く泊まるというゲストハウスを選んだのは、安心感を持ちたかったからだろうか?値段は心持ち高め、従業員も日本語を堪 能に扱い、結果的には非常に好感の持てる宿なのだ が、私はここに一泊しかしなかった。しなかったというのはあまり適切ではない。『出来なかった。』といった方が良いだろう。チェックインの後、何気なく建 物一 番奥の窓から裏通りを眺めてみようしたのが間違いといえば間違いだった。結果それは裏通りではなく「ロ」の字型をしたブロックの中空だったのだ。(ブ ロックとは碁盤目状に設計された道路に囲まれた約40X150メートルの区画のことで、ダウンタウンと呼ばれるヤンゴンのメインエリアは東西数キロに渡っ てブロックが並んでいる。) そのブロック中空 には表現の仕方が見あたらないゴミが山積しており、さらに360度を取り囲む4階建て程度の建物たちが下水を落とし込んでいたのだ。 決して誤解しないでいただきたいのは、ゲストハウスが悪いのではない。「ヤンゴン」という町そのものがこのような無様な都市計画の元に活動しているのだ。 ただし、わたしはこの時点では「町そのもの」とまでは把握できていなかった。したがって、ゲストハウスのブロック特有の問題と考え、さっそくの翌朝に別の ゲストハウスへ移動することとしたのである。 到着当日の夜、やっと一息ついたのは町の中心にある寺院「スーレーパゴダ」を眺めてた時だった。 ◆電気の有用性 バンコクで出会ったミャンマー帰りの先人から聞いていたとおり、このミャンマーに於ける電力事情は相当に最悪で、ひどいときには1日に4〜5回の停電が 起こる。停電している時間も運が良ければ数分から、運が悪ければ3〜4時間は平気で止まる。しかもエアコンの必要性が高くなる時間帯、つまるところ夜間以 外で多発してくれる。 1泊目のゲストハウスを除き、大抵のゲストハウスでは小型の発電機を設置していた。日本でもお祭り時にテキ屋が使用している「アレ」だ。電力会社からの給 電が途絶えた際に発電機を動かし、室内灯と扇風機だけでも使えるようにしよう。と、そういった運用になっている。ミャンマー滞在2日目にしてさっそく変え た宿のカベにはブレーカーらしきものがある(写真)。こいつはエアコンへの給電を制限する機材で、発電機からの低い電圧ではエアコンに給電されない仕組み になっているようだ。 ◆町の風景 ラオスに比べると、建物の様式としてはヤンゴンの方が幾分か発展しているように思える。ただし、道路のメンテナンスは全くされていないと形容しても良いほ どにアスファルトは砕け、コンクリート舗装は陥没し、側溝に掛かるコンクリート蓋は割れている。 午前中や夕刻、ナイトマーケットが開く時間帯での交通量は大したものがあるものの、午後2時頃をピークとする高温の時間には、通行人の数が激減する。
ヤンゴン中央駅の隣にあるボジョー・アウン・サン・マーケット。先日のラオスでもマーケットの雰囲気にその国の独自性を読み取ったものだが、この
ミャンマーはさらに輪をかけてカルチャーショックとともに軽い眩暈を届けてくれる。カルチャーショック面で感動したのは、何十年使っているのか見当も付か
ない「ミシン」。電気なミシンを使っていないのは、「停電が多いから」なのか「職人の目からは足踏みミシンがナンバーワン」なのか、それとも「機材がこれ
しかない」なのか、よく分かりません。
運良く?列車が到着、鈴なりになっている現地の方々をみると、そこはかとなくうれしくなっちゃいます。 こちらがヤンゴン中央駅。先の隣の駅から歩いて5〜10分程度で見た目が完全に異なるこの中央駅が出てくる。1US$でヤンゴン環状線をぐるっと一 周できるらしいので、後日、改めて来ることにする。
ビルマ人の主な食事はカレー。つってもデカイ具が3〜4つ小皿に乗ってるのを米と一緒に食うだけなんですが。「ポークカレー」を表現すると、「豚角
煮の心持ち辛い油がけ」であり、「カレーは何処?」と探したくなっちゃいます。
◆総括、ヤンゴン。 出会った旅行者の7割は「ミャンマーいいねぇ」派、残りの3割が「結構つらいね」。イイねぇ派の共通項はもしかしたら「寺院巡りが好きな人」なのかも知れ ない。ある人は言う、北部には見逃せない寺院や遺跡が山積していると。そして気温も首都より過ごしやすいと。 かなりペースの遅い旅をしている私でも、ヤンゴンは至急離れたい、いや離れないと精神衛生上よろしくない。と、どこからともなくプレッシャーが湧いてく る。Air Asiaの銀翼が僕を乗せてヤンゴンに着いた3日後、バスターミナルから地方へ向かう僕の姿がミャンマーにあった。
◆ヤンゴンのバスターミナル いやね、もう、広いです。2KM四方のエリアに無数のバス会社とバス。十数社程度のバス会社受付が薄緑の建物に入居していて、建物数も20棟以上は 有ったでしょうか。ちょいと無駄に広すぎる感じがミャンマーらしさなのかも知れません。
ミャンマーの大型バスは、そのほとんどが日本から。中・小型では韓国製が多いですね。塗装をやり直すでもなく、もとの看板そのまま走っているところ
がシュールです。
ミャンマーの通貨は「チャット(K)」。1US$≒1320K、計算が面倒なので、1000K≒100円と考えると楽。写真は100US$を両替し
た後の惨状。132枚の100円札と思っていただければだいたい正解。
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